今日は土用の丑の日、スーパーの折り込みチラシが5、6枚入るが一面は全部うなぎの蒲焼である。昔養鰻場の自動給餌機の電源に太陽電池を使うという応用があった。池の水回りに電線を張り巡らすのは危険でもありタイマーでモーターを回すのは簡単である。太陽電池と蓄電池で電源を構成する。養鰻場を訪ねたとき餌に群がるうなぎを見て驚いた。餌を求めて超絶バトルである。これが食欲に結び付くことは考えにくい。食欲が湧くのは蒲焼になってからである。しかし蒲焼を求めてバトルは起こらない。確かに旨いが高い。選ばれた人の食材になってしまった。
先日は家の周りの雑草を取った。お隣のアフガン家族は雑草を刈るという習慣は無いのか庭一面に20㎝くらいに伸びたざっそうがびっしりである。反対側のお隣は家を売却し引っ越す予定なので庭は等閑である。間の我が家は夏に伸びたものを始末した。誰に見られる訳でもないが散髪と同じでだらしない感じがして嫌なのである。勤めていた頃は全て家内任せで何もしなかった。今はこっちはリタイア、家内は元気になったとはいえ背骨の大手術をしてからは無理な姿勢はできない(と思う)。綺麗になった家の周りを見て家内は何も言わなかったが昔自分も言わなかったから同じことか。刈り取った雑草は大豪邸の芝に生えるであろう雑草量よりも多かった。散髪のとき床に落ちた髪を見て散髪して良かった自己満足するのと同じ感覚である。勿論熱中症が恐いので朝早く片付けてしまった。
考えてみればリタイア後は誰かに何かを言われて行動を起こすと言う事は殆んど無くなった。時々家内を車で送り迎えするくらいである。言い換えれば全てを自分で決めて動かなければならない。自主的とはいえ自己責任が伴う。言われてやる事よりも言われなくてもやる方が遥かに難しい。気づいたのはリタイア後である。