太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

雑学教室

2024-07-29 07:26:21 | 日記

 梅雨明け宣言はまだだが連日猛暑が続いている。大相撲名古屋場所は照ノ富士の優勝で終わったが若手の台頭で見応えのある取り組みが多かった。パリオリンピックはこれから佳境に入る。大谷選手は連日調子が良い。夏の甲子園はこれから始まる。スポーツ観戦は高齢者にとって楽しみの一つである。菅野の久し振りの完封勝利?記事はデカい。

昨日の市民講座は「狩野山雪の奇想を楽しむ」がテーマで講師は美大の現役教授だった。通常市民大学とか「リカレント教育(社会人の学び直し)」は特定のテーマで時間をかけて深掘りするものが多い。しかし市民講座では毎回テーマが変わる。普段は社会、経済、外交、安全保障など時宜にかなったテーマが中心だが時々文化・芸術の分野が選ばれる。先日は三味線奏者による江戸の音曲について弾き語りによる講義があった。平均年齢70を超えた聴講生には何かを専門的に極めるという時間はない。アラカルト的なテーマ選定は広く浅くで言わば雑学教育のようなものである。それだけに高齢者に人気があるのだろう。100人くらいの聴講生に1割くらいご婦人が混じる。忙しい中、勉強しようという気持ちだけでも素晴らしい。

狩野派の祖は室町幕府の御用絵師として活動した狩野正信に始まり以降江戸末期まで約400年間常に画壇の中心であった。日本絵画史上最大の画派である。狩野山雪は江戸時代初期の狩野派の絵師であるが講師は奇想の画家として何故山雪に注目したか。「奇想」をWikiで調べると「普通には思いつかない変わった考え、奇抜な着想」とある。しかし紹介される画を見ると龍や虎、獅子、枯山水、梅や松、小禽類など他の狩野派の画とさして変わらない。1枚の梅の古木を例にとって、このうねりは梅そのものの写実ではないこれこそ奇想の構図と言えるとのこと。画家はデフォルメして絵を描くことはままあるがそれを芸術と見分けるのは素人には困難である。結局講師のような芸術家でないと芸術は見分けられないのか。有名なピカソの絵だって現実離れしている、しかしそこに何かの新しい発見があるからこそ芸術性があると言う。どんどん説明が個人的になっていると思うのは凡人故にだろうか。それでもひと時暑さを忘れる浮世離れの世界は一服の清涼剤にはなった。