「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

サッカースタジアムは「社会の静脈装置」なのです。

2017年02月25日 17時01分37秒 | Jリーグ・三大タイトル
サッカースタジアムは「社会の静脈装置」なのです。名言だと思いませんか? あるいは、それって何のこと? という反応も多いかも知れません。

この言葉は、私のオリジナルではありません。Jリーグ村井チェアマンの言葉です。

人間の身体における「静脈の働き」についてはおわかりだと思います。その働きを産業に置き換えて表現されることもあります。「静脈産業」という言い方です。例えば上水道に対する下水道が一番わかりやすいでしょう。それと同じで自治体の清掃事業あるいは民間の廃棄物処理事業、そういう処理施設などが住宅地近くにできるとなると、猛反対が起きる、迷惑施設ということになります。

社会にも産業にも欠かせない分野にも関わらず「迷惑」という言い方をされてしまう「静脈型施設」。そういうイメージが湧いてしまう言葉をあえて使って、サッカースタジアムは「社会の静脈装置」と表現したところに価値があるように思います。

静脈産業などの施設が迷惑施設扱いされるのは、元はと言えば、静脈が人間にも不可欠なように、静脈施設も社会に不可欠なものであるという公共概念が希薄になってきているからです。よくこう言います。「社会にとって不可欠なのはわかっているけれど、自分たちの近くにもってこられるのは勘弁して欲しい」と。

そのことについての議論を始めると、話が脱線してしまいますから止めますが、静脈装置を迷惑施設と受け止めてしまうのでは、村井チェアマンの話がキチンと伝わらなくなってしまいます。
あくまで、社会に不可欠な装置としての静脈装置という意味で捉えなければならないということです。

さて、ここからが本題です。村井チェアマンはなぜそう表現したか、私がこの言葉を目にしたのは「25年目のJリーグ~進化と停滞の狭間で」という産経新聞の短期連載記事です。

昨日2月24日が今シーズンのJリーグ開幕前日で、まさに連載のタイミングなわけです。この日は「新スタジアムラッシュ」ということで、北九州、大阪・吹田、長野、京都などが紹介されていました。そして記事の最後を締めくくったのが村井チェアマンの言葉です。

少し長くなりますが名言を転載します。
「社会では喜怒哀楽をあらわにできる場所が少なくなっている。スタジアムは大声で応援し、笑い、泣く場所。消化不良の物を浄化して帰ってもらう、社会の静脈装置としての機能を意地でも守っていきたい」

わかりやすく言えば、日頃のうさをはらし、勝っても負けても愛するチームの試合を多くのサポーターと共有したことで得られる爽快感を味わう場所、それがスタジアムです、そういう場所は社会にとって絶対必要ですし、絶対守っていかなければなりません、ということでしょうか。

確かに、試合を観戦したあとでスタジアムを後にした時というのは、コンサート、観劇などと同じ非日常空間から出てきた気分で、試合を見る前の気分とは明らかに違います。それが勝利のあとならば、なおさらです。

サッカーを愛する人々が集える「我が町のスタジアム」が球技専用スタジアムとして増えていることも、Jリーグ25年目の歴史の賜物です。

これについては昨年7月30日と31日に書き込んだ「サッカー専用スタジアム、実は少しづつ増えている」のところでも触れています。実態をお知りになりたい方はお読みください。

同じ連載企画の初日には、Jリーグ初代チェアマン・川淵さんが、Jリーグ創設時に掲げた理念に照らして25年を振り返ると「サッカースタジアム」が地域スポーツの総合的な拠点となり、周辺にさまざまなスポーツ施設があって、そこで地域の老いも若きもスポーツを楽しんで、汗を流したあとにはレストランやバーでワイワイ楽しむ、そういう場になっているかどうかというと「まだまだ」だと、不満を口にしたとあります。

確かに欧州のスポーツパークの風景は、川渕さんがすでに1960年代に目にした頃から欧州各地に根付いています。日本でも、いまやシニア世代のスポーツサークルが日常風景になっていますが、それがスパやラウンジ、レストラン、バーといったスポーツアフターの楽しみとセットになっているかといえば、そうではないように思います。

そこには、日本的な硬直的な考え方が支配していて、オープンな場になるのは容易ではありません。このあたりのことは、また機会がありましたら触れたいと思います。

少なくともサッカースタジアムの中だけでも、非日常空間として日頃のうさを忘れる「静脈装置」である幸せを味わいましょう。

(ここからは翌日2月26日に加筆したものです)
Jリーグ村井チェアマンの視点には常に社会性・公的貢献の視点があるように思います。このブログでも、そういった考え方をできるだけ多くの皆さんに共感していただきたいと思っています。最近では、昨年4月5日に「AED背負い仲間の命救った甲府サポーター」という書き込みで紹介しています。

サッカーを愛してやまない私たちは、こうした社会性・公的貢献という部分についても常に意識していきたいと思うのです。


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