「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

2012年3月31日(土)の新着情報、長友、ガンバ、なでしこ等々

2012年03月31日 21時14分38秒 | サッカー情報
インフルエンザと、孫の来訪対応のため書き込みを1週間あけてしまいました。その間、大きなニュースが二つ、海外と国内に発生しました。注目チームの監督解任です。
インテル・ラニエリ監督、ガンバ大阪・セホーン監督、呂比須ヘッドコーチが解任されました。明と暗、成功と失敗があっという間に入れ替わる厳しい世界の現実を、まざまざと見せつけられます。
一方、うれしいニュースもありました。宮市の着実な成長、香川真司のゆるぎない実績上積み、内田篤人の復調などです。

そんな中、涙もろい「夢追い人」の目にまた涙があふれたのが26日(月)から3夜連続、NHK-BSで放送された『証言ドキュメント「永遠に咲け なでしこジャパン 日本女子サッカーの30年』です。詳しくは本文で。

○3月24日(土)から本日にかけての新着情報
【ネット・新聞関係】
《ネット》
yahooトップ画面新着情報での主な掲示ニュース
・海外
長友所属インテル、監督を解任 3月27日11時47分~28日2時4分掲示
私たち日本のサッカーファンが恐れるのは、監督が交代して長友の評価が変わり出番を失うことだ。昨年2月のインテル加入以来1年ちょっとの間に、レオナルド、ガスペリーニ、ラニエリと3人の指揮官交代があり今度は4人目となる。長友はその都度、よく新指揮官にアピールして試合に出続けているが、最近の負け試合を見ているとチーム全体に徒労感が漂っていて短期間での建て直しに苦労しそうだ。
ストラマッチョーニという新監督もシーズン終了までの暫定? という観測があるので、新シーズン、またまた新監督のもとで仕切り直しとなれば、本当にしんどいだろう。長友の未来に幸運をと祈るばかりだ。

・国内
  ガンバ大阪、セホーン監督らを解任  3月26日16時5分~27日8時48分掲示
(関連)ガンバ大阪、監督選び失敗の原因は?  3月27日17時3分~28日9時12分掲示
昨シーズンまで華麗な攻撃サッカーでファンを魅了し、Jリーグ屈指の強豪として優勝争い常連だったガンバが、今季公式戦5連敗、ここまで醜い状況になってしまうものなのかと思うほどの変わりよう。
記事は、こうした事態を招いたのは監督交代に関するチームフロントのマネジメントのまずさにあると指摘。
そもそも、チームをここまで強くした最大の功労者である西野朗監督に、契約更新しない意思を伝える時期が遅すぎ、次の職場探しの時間を与えない形になりケンカ別れのようになってしまった。
さらには後任に考えていた呂比須ワグナー氏が、日本で監督をできるライセンスを保持していないとしてリーグから認められず、やむなく呂比須氏はヘッドコーチ、彼の師匠格であるセホーン氏を監督に据えた。
しかし、チーム内には、どちらの指揮官に従えばいいのかという迷いが出て、セホーン監督も記者団の取材にあいまいにしか答えられない状況が生まれた。
これでは、新シーズンを万全に迎えられるはずもなく瓦解してしまった、とガンバのフロント陣を厳しく非難している。

・3月28日「日刊ゲンダイ」(タブロイド夕刊) 「ウの目タカの目」欄(デスクと記者のつぶやき) カズさえいなきゃ(抜粋)
「勝てないな、山口新監督の横浜FC。45歳のキング・カズを投入してテコ入れを図りましたが・・・。テコ入れ?   もうムリだろ、Jリーガーとしては。 なぜ現役を続けられるの?   実は横浜FCのオーナーがカズの大ファン。オーナーが代わらない限りは本人の気持ち次第。 横浜FCは最下位。このままでは近い将来、新監督の首も吹っ飛ぶことでしょう。 カズは?   安泰です。」
ここで言うオーナーとは、全国で学校・病院給食や社員食堂を展開する「株式会社レオックジャパン」の代表取締役会長兼社長の小野寺氏と思われる。カズ選手の大ファンのようで愛車のナンバーも11番とか。カズ選手は若い頃からスポンサーに恵まれているが、これも彼の愛される人間性によるものだろう。

【テレビ関係】
・3月26日(月)~28日(水)3夜連続 NHK-BS『証言ドキュメント「永遠に咲け なでしこジャパン 日本女子サッカーの30年』(各50分×3回)
 ナレーター 井上真央

第一夜 1981年~2003年 鈴木保監督 川淵三郎、大部由美、宮本(旧姓・三井)ともみ、大竹七未、野田朱美、武岡イネス恵美子 宮内聡監督、山郷のぞみ
1981年、初めて女子サッカー日本代表が編成されて以降、1989年に女子サッカーリーグがスタート、1994年からはLリーグの愛称で、海外からの加入も増え世界最高の女子リーグと呼ばれる隆盛を誇った中、1991年から始まった第一回女子世界選手権(現ワールドカップ)にも連続出場を果たしてきたが、2000年シドニー五輪への出場権を逃したことで大きな挫折を味わった。
社会の女子サッカーへの注目度が落ち、不況下、Lリーグから次々と企業が撤退、恵まれた環境を失う選手たちが続出した。
こうした中、2003年女子ワールドカップ出場権も、最後の大陸間プレーオフにもつれ込む苦しい状況に陥った。
2003年7月、国立競技場には日本サッカー協会の協力もあって多くのファンが詰めかけメキシコとのプレーオフを後押しした。試合は澤と丸山桂里奈のゴールで快勝、ギリギリのところで出場枠に滑り込んだ。
試合後のインタビューで大部キャプテンは涙をこらえることができなかった。ちぎれそうになってしまった女子サッカーの糸を何とかつなぎ止めたという万感の思いが彼女の胸を去来した。この勝利はそれだけの重みをもった勝利だった。
第一夜は、立上げ当初から長年、日本代表を支えてきた半田悦子、大原、キャプテン・岩田の3人が西が丘サッカー場で再開したシーンで終わる。ワールドカップ優勝という大輪の花を咲かせた、なでしこジャパンの草創期を支えた時代だ。

第二夜 2003年~2007年
オリンピック・ワールドカップに出場はするものの、まだ世界の壁に跳ね返されていた、なでしこジャパン、その中にあって、ただ一人の世界基準が澤穂稀、彼女に皆が追いつく厳しいトレーニングの時代が始まった。
上田栄治監督、池田(旧姓・磯崎)浩美、川上直子、丸山桂里奈、宮本(旧姓三井)ともみ、荒川恵理子、大部由美(キャプテン)、大野忍、大橋浩司監督、宮間あや、永里優季

第三夜  2007年~そして
佐々木則夫監督、大野忍、宮間あや、永里優季、近賀ゆかり、安藤梢、池田(旧姓・磯崎)浩美、丸山桂里奈、澤穂稀、野田朱美、熊谷紗希、山郷のぞみ、半田悦子、川上直子

・3月29日(木) BS「知られざる欧州サッカーの魅力」(110分) ナビゲーター 宮本恒靖、小島伸幸
   ドイツ  ドルトムント 香川真司×小島伸幸対談  
        ウォルフスブルク、シャルケ
   イングランド   マンチェスター・U
   イタリア     インテル  
            サネッティ×宮本恒靖対談
シャルケのホームスタジアム、2001年に230億円を投じて建設されたドーム型スタジアム、炭鉱産業が衰退した町を蘇らせたいと進められたプロジェクト、寒冷地なのでドーム型とし、芝は天然芝で未使用日には屋外で養生させ、試合日にスタジアム内に可動する。試合のない日はドーム内で、コンサートやレースなど、さまざまなイベントが安心して行なわれ、町に新たな産業を生み出した。
シャルケの試合には毎回6万人が詰めかけ欧州有数の熱気あふれるスタジアムとして有名。スタジアムの地下には地ビールの配送庫があり配管でスタジアム中に張り巡らされている。
観覧席の一部はビジネスラウンジになっており、地元企業70社が試合日だけでなく、さまざまな商談・打合せなどに使用されている。
訪ねた宮本恒靖は「理想はこうだと思う」と。プロジェクトを推進したルディガー・シュミッツ氏は、スポーツ施設を生かした独自のまちづくりで世界から注目されているという。「重要なポイントは、多くの人が訪れるようスタジアムを多目的にしたことだ。あのスタジアムはさびれた町が再生するキッカケになった」
長い間、この町、このチームを支えてきた炭鉱。チームはその歴史を忘れないようにするため、選手たちは毎年シーズン始め炭鉱労働を経験するしきたりになっている。もちろん内田篤人も経験した。試合の日、サポーターも声援の合言葉に炭鉱の町で語られる「無事を祈って」を大合唱する。
宮本恒靖は続ける「サッカーの持っている力は、人の心を一つにするし経済を動かすし、何より希望をもたらす。社会に欠かせない生活の一部だと思う」

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