「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

本田圭祐と中田英寿、私論

2013年05月29日 21時11分57秒 | インポート

本田圭祐と中田英寿、これは最新号のスポーツ誌「Number」(829号)の企画記事のタイトルだ。

筆者は金子達仁氏、いまやサッカージャーナリストの重鎮的存在といったら怒られるだろうか。

確かに、日本代表における存在感は比肩するものがあり、それぞれの代表時期の、他のどの選手も一目、二目おくカリスマ的存在だ。

企画ものとして、よくありがちな「どちらが上なのか」という問いは、いつの時代も読者の興味をそそる。私も、この二人の比較ならワクワクする。

金子さんは、彼の豊富な取材情報と核心をつく洞察力でテキストを仕上げておられた。

私は、1993年以降の日本サッカーにおいて、誰が真に画期的な仕事を成したか、という観点で見た場合、1997年のジョホールバルがまず頭に浮かぶ。あの試合、中田英寿は「何がなんでもこの試合は勝つし、勝てるはずである」という信念の塊と化して試合をしていたことが、何年たっても手にとるようにわかる。

その意味で、中田英寿は、紛れもなく真に画期的な仕事をした選手だ。

では、今回、比べられる本田圭祐は、真に画期的な仕事を成し遂げただろうか? おそらくあげられる試合が、2010年南アフリカW杯における決勝トーナメント進出の立役者としての仕事だろう。カメルーン戦における松井大輔のクロスに合わせたゴール、デンマーク戦におけるブレ玉FKによる先制点、これだけでも、この大会の立役者にふさわしい活躍といえるだろう。

ただ、この大会、結局はR-16でパラグアイの壁を突破できなかったことを思えば、画期的な仕事をしたとまでは思えない印象だったことも確かだ。つまり本田圭祐の時代、単にW杯突破だけでは話題にも上らないうえ、本大会でグループリーグを突破してすら、評価が得られない面がある。

現実には、私たちは、W杯に4回も連続して出場権を獲得した偉業が、どれほど大変なことかよく知っている。「W杯には、もう出て当然」なんて軽はずみに言えないことをよくわかっている。

ただ、歴史的な評価というものは、より進化した姿について下されるのも事実で、1997年に史上初めてW杯出場権を勝ち取った試合を支配した中田英寿の偉業と、2010年に自国開催ではないW杯でグループリーグを突破したチームを支配した本田圭祐の偉業を、同様の評価、あるいは本田のほうがより高いレベルに達したものとして評価する気持ちにはなれない。

私の中では、1993年以降、真に画期的な仕事をしたサッカー選手は二人だ。一人はジョホールバルの中田英寿、もう一人はアトランタ五輪最終予選のサウジ戦をモノにした前園真聖。

アトランタ五輪出場、ある意味、フル代表よりワンランク下のカテゴリーということになるが、日本における五輪出場の意味合い、そしてメキシコ五輪以来28年ぶりの出場というのは、もはやカテゴリーを超えた意味を持つ。

その出場権を賭けた試合における前園真聖の戦いは、まさに「何がなんでもこの試合は勝つし、自分の手で決めてやる」という決意を、そのままパフォーマンスに現わして、まさに画期的な仕事をした選手だ。

私は、あの試合における、前園選手のキラキラした目の輝きを今も忘れない。あの目の輝きは、完全に動物的な目だったと思う。狙った獲物は絶対に逃さない、そのためには自分の全神経を集中して戦いに臨む、そういう本当の戦士の目だ。もし、前園選手に「もう一度、あのような目つきになれますか」と聞いても、おそらく「難しい」と答えるのではないだろうか。

彼が、あの試合において、そのような集中力を持って戦ってくれたことで、日本は新たな扉を開いた。それ以後、五輪代表権も連続して獲得しているが、その扉を開いたのだ。

中田英寿と前園真聖、この二人に本田圭祐は比肩するのか、私の中では、そういうことになってしまう。

幸いなことに、本田圭祐にはまだ未来がある。日本サッカーにおける画期的な偉業を成し遂げる試合を得る可能性がある。彼にはそういう期待をかけられる。それもまたサッカーを愛する一人として、たまらない喜びだ。

さらには、かれに続くカリスマ候補生としての香川真司への期待も、しばらく持ち続けられそうだ。日本サッカーの幸福な20年に身をおける喜び、何物にも代えがたい喜びだ。

突然、話が変わると思われるかも知れないが、今日見た1994年ブラジル全国選手権グループリーグのパルメイラスvsパラナ戦にも、日本サッカーはつくづく恵まれたのだなぁ、と思わせられる。

この試合、パルメイラスのスタメンには、ジーニョ、サンパイオ、エバイール、エジムンド、ロベルト・カルノス、リバウドが名前を連ねている。

このうち、ジーニョ、サンパイオ、エバイールの3人は同年のアメリカW杯優勝メンバーであり翌1995年からJリーグ・横浜フリューゲルスに所属している。エジムンドもヴェルディに所属歴がある。そしてロベルト・カルロス、リバウドは、のちにW杯優勝を果たすブラジル代表メンバーでありインテル、レアル・マドリー、バルセロナといった世界的ビッククラブで成功した選手たちだ。来日した助っ人外国人と言われる人たちが、いかにハイレベルな人たちだったか、Jリーグが、その後の日本人選手たちのレベルを引き上げる場になったことか。

それがジーニョ、サンパイオ、エバイールをチームメイトに持った横浜フリューゲルス・前園真聖の偉業に、そして前園の偉業を五輪チームの弟分として目の当たりにした中田英寿の偉業に引き継がれている。

日本サッカーにおけるJリーグ20年というのは、本当に幸福な歴史だと思わされる。

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