以前このブログにも書きましたが、昨年から旧東海道を京都に向け歩いています。これまでいくつものまちを歩いてきましたが、途中で猫を見かける機会が多くあります。
特に海辺のまちで出会うことが多いようで、今ではすっかりウォーキングの楽しみの一つになっています。目が合った瞬間に足早に逃げる猫、後ずさりする猫など一口に猫と言っても、いろいろなタイプの猫がいるなと思います。
写真の猫は、先日歩いた旧東海道 原宿(沼津市JR原駅そば)近くの公園で休憩している時に出会った猫です。
公園のベンチに腰掛け、朝食をとろうとした瞬間にどこからともなく現れ、我々の隣にちょこんと座って人懐っこい眼差しをこちらに向け、おこぼれをおねだりされました。
普段は猫より犬が好きだと公言している私も、あまりのかわいさについ撫でてしまいました。
私はこれまで猫はあまり人懐っこくなく、どちらかと言うとマイペースというイメージを持っていたのですが、旧東海道ウォーキングでたくさんの猫と出会う中で、必ずしもそうではないんだと思うようになりました。「猫」というだけで、一括りにしてはいけないということです。
これまで、自分の前世は犬に違いないと思うくらい犬派の私でしたが、いつかは猫を飼ってみるのも良いかもと思うまでになりました。
ところで話は変わりますが、研修においてはコミュニケーション診断やタイプ別の部下の指導法など、結果をタイプで分類する手法が比較的好まれるように感じています。タイプ別に括ることでイメージをしやすくなることから、受け入れやすいのだろうと思います。
しかし、タイプ分け自体は決して悪いわけではないと思うのですが、タイプに分けることでそれに固定観念を持ってしまう人が少なからずいるように感じています。
例えば、「A型だから几帳面だよね?」や「B型はマイペース」など、血液型によるタイプ分けは今も流行っています。
しかし、同じ血液型であっても実際はいろいろな人間がいるわけですから、型やタイプを絶対的なものと考えたり、固定的なものだと考えることが良くないことは言わずもがなだと思います。
ちなみに、私はA型ですが几帳面なところがある一方、自分でも驚くほどずぼらなところもありますから、やはり「タイプ」では括れないということを証明しているようですね。
(人材育成社)