パオと高床

あこがれの移動と定住

吉田秀和『たとえ世界が不条理だったとしても』(朝日新聞社)

2007-11-21 11:17:14 | 国内・エッセイ・評論
朝日新聞夕刊一面の「人・脈・記」というコーナーで、吉田秀和のことが書かれていた。それを読んで、あっ、この人の文章を読んでみようと思った。音楽評論家と頭の中で分類して、音楽評論家の文章はほとんど、読んでみたことがなかった。ただ、なんとなく吉田秀和は、音楽の紹介者というだけではなく、文学、哲学、政治社会などにも広く、深く、発言する該博な人だという印象は持っていた。
朝日新聞に1971年から書き続けてきた「音楽展望」の2000年から2004年までの分が収録されている。「あとがき」には妻の死による、中断の時の心境などが記されているが、この時評を書き続ける営為に驚かされる。そして、限られた枚数の中で、充実した評論を表現し続ける力量をすごいと思った。こんな文章がある。「ニューヨークでのあのことが起こって以来、私は書くのが辛くてならない。それでも、いつまでかは知らないが。私は書き続けるだろう。人間は生きている限り、自分の信じ愛するものを力をつくして大切にするほかないのだから。」

文章は、作者がかつて聴いた演奏の思い出に向かい、それが現在聴いている演奏と比較され、現在の音楽の様相や音楽の変化と普遍性に言及されたりする。また、作曲家と演奏者の関係を語れば、そこから溢れ出す多くの演奏への批評が繰り出される。筆致は簡明で、心地良いリズムがある。
例えば、リヒテル。
「リヒテルは「ピアノが怖い」と悲鳴を上げるときがあった。(中略)
リヒテルー特に晩年の彼には、この恐怖はしばしばきき手に伝わってきた。あの特別暗くした舞台で僅かな光の下で楽譜を前にグリーグの小品などを弾いている彼の身辺には異常に切迫した空気が漂い、楽譜そのものもピアノを超えた彼方から見えてくる何かから彼を守るためにおかれていたように、私には、思われた。」とか。
あるいは、ベートーヴェン。
「《第九》は人類の理想の輝かしい表明だが、《荘厳ミサ曲》は人類の厳しい現実を率直に受けとめたうえでの祈りの音楽で、ベートーヴェンという人は理想と現実の両方から目を離さなかった。大事なのはこのことだと思う。」と、《荘厳ミサ曲》の音楽に沿った解読のあとに書き、さらに、この文章を受けて、
「理想の追求、その謳歌は良いけれど、それ一点張りで理想しか目に入らず遮二無二突っ走ることは独りよがりの傲岸、他人への無理強いになりやすい。理想と信念の正しさだけでの行動がどんなに恐ろしい結果を生むかは、冷戦時代に私たちが散々経験したことだ。」と結ぶ。2003年4月の記述だ。現在への警鐘を書き込んでいる。
グールド、リヒテル、ヴァント、カラヤンなどなどから、朝比奈隆と田中真紀子に触れた文章、相撲の話から音楽のリズム論へと飽きない。
批評の姿勢は、こんな文章に見てとれるのではないだろうか。
「「何とかの曲は誰それに限る」と言う人がいる。こういう言葉は格好が良く、潔く、倫理的にさえ見える。しかし、もし、それが「だから、ほかのはだめ」というところまで行ったら、それは音楽の息の根を止めかねない。ある曲はひとつの弾き方しか正しくないとしたら、むしろその曲にどこか問題があるのではないかと考えるのが順序ではないか。」
この柔軟さと、革新、普遍への目配り。そして既成概念にとらわれない自身への責任と信頼。
CDを流しながら、毎晩、数編ずつ読むのは楽しい時間だった。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« サガン『悲しみよ こんにち... | トップ | 円城塔「つぎの著者につづく... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

国内・エッセイ・評論」カテゴリの最新記事