パオと高床

あこがれの移動と定住

松岡正剛『白川静』(平凡社新書)

2010-05-08 10:22:08 | 国内・エッセイ・評論
2008年11月に発行されたこの本、帯に「白川静への初の入門書」と書かれている。2006年に亡くなった白川静に関する本は、確かに最近よく目にするようになったと思うが、その驚嘆すべき巨人について、これまた驚異の博覧強記松岡正剛が語るとなれば、これはこれは面白くないわけがない。と、あっさり白川静を「驚嘆すべき巨人」と書いたが、そのなにが「驚嘆すべき」なのかの一端をスケールの大きさ深さ共に感じさせながら紹介してくれる。
白川静の本、少し読んでは、そのただならなさにたじろいでいたボクを、やさしく白川静に連れて行ってくれる一冊だった。

この本の大半を、柳井港から松山の三津浜港に行くフェリーの中で読んだ。白川静という広大な海に浮かぶ瀬戸内の島のように、松岡正剛が取りかかれる場所を呈示していく。それは、同時に松岡正剛という膨大な知の図書館から検索され、選び出された知の連鎖に触れるという海と島の関係でもあり、漢字という海から姿を現す、その漢字と中国そして日本を探求する拠り所としての島の存在なのかもしれない。

では、この本の内容を語ることができるかというと、それがなかなか難しい。ただ、例えば「呪能をもつ漢字」では、呪と祝を重要な切り口として解読していった白川静の、圧倒的に鋭い見識とダイナミックな展開そして執拗さが伝わってくるのだ。

松岡正剛は、この本の表紙裏に書かれているように、「見取り図」を作ってくれる。神話学への問いかけ、『詩経』と『万葉集』の同時解読、「巫祝王のための民俗学」という観点と方法を取り入れた万葉集研究、『孔子伝』、「狂字」と「遊字」、「字書三部作」などという項目で「見取り図」を作りながら、それぞれの偉業について、どこがどう独創的でどう時代を画期したのかを解説してくれる。読みながら、わくわくとする。だが、このわくわくを語るためには、こちらに膨大な知の集積がないと不可能なのだ、きっと。しかしながら、このわくわくは、それでもう十分なのだ。そして、ここにある「わくわく」は、白川静その人から発せられるものでもありながら、それを結び連結させていく松岡正剛の発する知の渉猟の愉しさでもあるのだ。一例を挙げれば、「字書三部作」に触れるところで、「辞書編纂者」としての白川静を語っていくのだが、そこが、こう展開される。

「辞書編纂者のことをレキシコグラファーといいます。この言葉がヨーロッパで最初につかわれたのは1658年で、この言葉自体が当時の新語でした。なぜこのような新語ができたかというと、最初の英英辞書であるロバート・コードリーの『アルファベット』が出版された1604年をきっかけに、十七世紀イギリスで辞書編集が大流行したからです。」と書かれ、ここから「レキシコン(定義集)」という言葉が生まれ、それが定着して、「レキシコグラファーはあらゆる概念創造をしている人だと尊敬されるようになっていく」から、では「新語」は何かといって、ホッブスの『リヴァイアサン』が引かれ、ホメロスのころにすでにレキシコグラファーは出ていたと語り、では、表音文字と表意文字でのレキシコグラファーの違いは何かを説きながら、東洋での苦闘と苦心と刻苦勉励に触れて漢字に戻り、始皇帝の文字統一への言及から漢字の辞書編纂の歴史を追って、白川静「字書三部作」に至るのだ。
あっ、こう書いてしまえば何だか、船酔いしそうな感じだが、それが見事に連れて行ってくれるのだ。

もうひとつ。例えば、「狂字」について。
「したがって「狂」はけっして妖怪や化け物じみたものではなく、それゆえたんなる意味不明の狂気でもなく、また『西遊紀』的なアニメっぽい民衆的なものでもなくて、むしろ「聖」に匹敵する表象力なのだということを強調するのです。どちらかといえばミシェル・フーコーが『狂気の歴史』において、「狂気とは、神の並みはずれた理性と比較した場合の、人間固有の尺度である」といったのに近い解釈です。」
と、こういう連結の仕方が、随所にあって、快感なのだ。

紹介しながら、知的満足を与え、さらに先へと向かいたくさせる。新書の魅力溢れる一冊だった。
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