パオと高床

あこがれの移動と定住

寺山修司『月蝕書簡』(3)最終回

2011-10-18 13:06:59 | 詩・戯曲その他
七 鑑賞からはなれて3

 現代歌人文庫の『寺山修司歌集』収録の第二歌集『血と麦』の「私のノオト」で、寺山は書く。

  大きい「私」をもつこと。それが課題になってきた。
  「私」の運命のなかにのみ人類が感ぜられる……そんな気持で歌をつくっ
 ているのである。(中略)
  私個人が不在であることによってより大きな「私」が感じられるというの
 ではなしに、私の体験があって尚私を越えるもの、個人体験を超える一つの
 力が望ましいのだ。
                      (寺山修司『寺山修司歌集』)

 この文章には、「一九六一年夏、小諸にて」という記述がある。そして、「いませねばならぬこと、長編叙事詩の完成」とも書かれているし、「いま、たったいま見たいもの、世界。世界全部。世界という言葉が歴史とはなれて、例えば一本の樹と卓上の灰皿との関係にすぎないとしてもそうした世界を見る目が今の私には育ちつつあるような気がするのだ」という記述も続く。六五年刊行の第三歌集『田園に死す』への道はここに予感されているのだ。
 寺山の「私とは誰か?」という問いは、寺山が評論集に収めたとき「Who are you?」という問いに書き改めたらしい。菱川は書く。「『私とは誰か?』を問うことは、『あなたとは誰か?』を問うことにつながる」と。この問いの転換は健全である。例えば、「私とは誰か?」という問いへの解答をあっさりと有効性の有無に還元して「私とはとるに足らないもの」あるいは「私とは何ものでもない」ということにし、他者に対しても、「あなた」に対しても、それを敷衍してしまう恐ろしさに比べれば。私を問うことは他者を問うことなのだ。
 菱川は、「『血と麦』の自己拡散には、そういう対話の活性力が秘められているのであるが、その活性力をさらに強靱なものに練りあげ、『大いなる〈私〉』の全体像を、日本人の血の故郷にさぐったのが、第三歌集『田園に死す』である」と、寺山の達成を評価していく。
 篠弘は同じことを『篠弘歌論集』の「前衛短歌論争」で書いている。この中の「寺山修司と岡井隆にはじまる私性論議」という章に次のような記述がある。

  岡井の「〈私〉をめぐる覚書」について、ここで詳述することはできないが、
 短歌が私詩として生きうる可能性が執拗にさぐられていた。(一)〈私〉の拡散と回収、(二)作品に生きる人間像と表現者の主体、(三)日常性の回復、(四)高次元のフィクション、などのテーマをめぐり、短歌の原質にかかわる巨視的な見通しをふまえて、作品の背後に「ただ一人だけの顔が見える」ように描出する方法が吟味されたのであった。
                         (篠弘『篠弘歌論集』)

 岡井の原著にあたっていないので、「ただ一人だけの顔が見える」がもう一つ理解できないが、おそらく表現されるべき作品において生きる者の顔のみが見えるように創作されるべきだということではないだろうか。それにしても、この四つのテーマはそれぞれに問われ続けるべき課題である。フィクションがフィクションであるかぎり、そのジャンルにあって、常に問いとして有効である。もちろん小説や詩になると、ポリフォニックに「私」とそれをめぐる「作品に生きる人間像」が交錯すること自体が作品の規模を支えるのである。
 篠は「この岡井提案をきっかけにして」と続けながら、「私性」についてのいくつかの見解を列挙していく。例えば、山中智恵子の「告白を断念したところから、私を拒絶したかたちで、測りがたき私に会うためには、いくたびも〈私〉にたち帰る」という「私」への出会いが「私」の実体を変え、越えていくという主張を書き、それたいして、寺山修司の、先に引用した「〈私〉とは誰か?」は、「近代的な自我の解体をうながすものとなった」として、

  〈われ〉という言葉で他者を語ることにこそ、短歌の特性があることをあ
 きらかにした。いわば劇化を志向するものであって、「大いなる〈私〉の全体
 像と、現実にいま存在している私の肉体との相克である」とし、はやくも存
 在論的な思考を暗示していたのである。
                         (篠弘『篠弘歌論集』)

と、篠弘も「〈私〉とは誰か?」を引いている。この「存在論的」というのが、また少々わかりにくいが、篠弘は前登志夫の言葉を引いて、次のように述べている。

  「前衛短歌のひとつのテーマは、たんに〈自然〉を回復することでもなく、
 〈私性〉を呼び戻すことでもなく、自らの行動のモーメントをたしかめてい
 くことであろう」と分析し、昭和四十年代の現代短歌が、私性の確認から存
 在論に深化してくる状況を、まさしく予知していたかのような視点をみせて
 いる。
                         (篠弘『篠弘歌論集』)

 「モーメント」とは、「きっかけ、要因、契機」という意味がある。しかも、ある瞬間の時間という意味も併せ持っている。行動の理由づけや意味、またその行動の起こる状況や原因を探る行為と考えると存在論的である。短歌が「劇化」を志向すれば、短歌に詠まれた状況のなかでの存在の有り様が表現されることになっていく。そう三十一音は「私」の旅の場所になり、様々な「私」の有り様になり、自我の実験室になり、実存の解釈を可能にする場所になる。それは存在の意味とそれに先立つ実存の姿を顕わにする劇的空間になるのかもしれない。
 ところが、ここに寺山修司の短歌離れと、歌への帰還を告白しながら未発表歌となってしまったきざしがほの見えるのである。「大いなる〈私〉の全体像と、現実にいま存在している私の肉体との相克」とは、寺山修司のいまある現実と短歌との相克にもつながったのではないだろうか。

八 鑑賞からはなれて4

 ボクらは『月蝕書簡』の付録佐佐木幸綱との対談に寺山の議論巧者ぶりを見てとることができるかも知れない。相手の言葉を微妙にずらして、相手の言葉の持つ主導権を奪還する。また、以前、自らが遣った言葉の定義をすり替えながら、いま考えている自己の現場に相手を引きずり込んで、相手が自分に対して作ってくる来歴からの批判を破産させる。ロラン・バルトの言葉の定義のずらしかたを比較すれば大げさだろうか。そんな寺山の姿勢は、先に引用した「人は、一つの形式を通して表現する方法を獲得した瞬間から、自分自身を模倣するという習性が身についちゃうからね」という点が「非常に問題なわけです」という考え方に根ざしていると考えることはできるかも知れない。が、というよりは、飽きちゃうことが嫌なのかもと思ったりもする。
 この対談は七六年に「週刊読書人」で交わされたもので、六五年刊行の『田園に死す』から十数年後、月刊「短歌」で寺山修司がふたたび短歌を書くという予告を契機に行われたものだろう。未発表歌集『月蝕書簡』は、そういった十数年ぶりの短歌発表に向けて、七三年から十年かけて作られた短歌を中心に田中未知が編集したものである。結局、本人の手で発表されることはなかった。「『月蝕書簡』をめぐる経緯」で田中未知は、八一年の辺見じゅんと寺山との対談を引いて、辺見が寺山の次に出す短歌に対して「意外と凄いものかも知れないわよ(笑)」と言ったのに寺山が「いや、駄目です」と応えたことばが「印象的である」と書いている。そして、「発表に至らなかったのは、この自信のなさが躊躇させていたのかもしれない」と続ける。それは、同じ対談にある、「自分の過去を自分自身が模倣して、技術的に逃げ込むわけでね、なるほど見た目には悪くないけれど、これは自分自身の何か新しいことを語る語り口として、二十年ぶりで短歌を作るということに値するかどうかと考え始めたら、だんだん自身がなくなってきてね」という発言と呼応する。だが、この吐露自体が創作の葛藤を語っているのだ。
 そして、もう一つ、付録のかたちで挿入されている佐佐木幸綱との対談では、短歌を離れた動機が次のように語られている。

  ぼくが『田園に死す』という歌集をつくってから短歌をつくれなくなった
 のは、短歌形式が最終的に自己肯定に向かうということがわかったからです。
  (佐佐木幸綱・寺山修司対談「現代短歌のアポリア-心・肉体・フォルム」)

 かつて、「私個人が不在であることによってより大きな「私」が感じられるというのではなしに、私の体験があって尚私を越えるもの、個人体験を超える一つの力が望ましいのだ」とか、「われ」という言葉で他者を語ることに「短歌の特性があることをあきらかにした」と篠弘に書かせ、「大いなる〈私〉の全体像と、現実にいま存在している私の肉体との相克である」と語った寺山が、自身の歌からの離れ(わかれではなく)をこう動機づけている。
 寺山の『田園に死す』での達成は、近代を、反近代的なもの土俗的なもので、それこそ血で、屠る行為を表現し得たことであったと思う。徹底的な土俗性、地域性、また自身の原風景的な個別性にこだわり、その空間と時間の中で生き得た自分を仮構していくことが、「日本人の血の故郷」(菱川善夫『歌のありか』)への探索となる。それがえぐり出した場面は「大いなる〈私〉」の中に「私」を呑み込んでいく。『田園に死す』の短歌に触れた途端、異次元への扉が開き、ボクらはそこで異空間に出会う。それは寺山の原風景であり、虚構化された世界である。そして、その異空間で、実は見知った何ものかに出会うようにボクらは、まるで日本の原郷のようなものに対面させられるのだ。そこには、残酷さと切なさが、ノスタルジーと疎外感が、愛おしさと受け入れがたさが、遊戯性と少年性が、悪意と傷が、癒しがたさと憐憫が、ひしめいている。跳梁する草子絵や、集落や、家族の幻想に宿りながら。
 そして、ボクらは、それを突き抜けて、問いつめられる自己という普遍に至るのだ。ある地域性からグローバルな普遍性に拮抗し、それへの問いを発する。すでにこれは現代文学の世界文学性への条件のひとつなのだ。この時期以降のいわゆる「アングラ演劇」の担い手たちは、結構、日本的なるものに劇的なるものを見いだして、新劇の翻訳的なるものに対抗していったのではないかと思われる。また、新劇自身も、自らの解体、再生のために土着性へと根ざしていったのかもしれない。そこに、世界への通底路があったのだ。
 篠弘も『田園に死す』に関して、菱川善夫と同様の見解を示しながら、近代との関係に触れている。

  三十年代における「前衛派」の志向性の一つとして、寺山の存在を軽視す
 ることができない点は、寺山が近代の解体に挑むにさいして、近代の規範を
 超えて、はげしく日本人の原型というところに着目したからである。各個が
 もつ土着的怨念のようなものを抽出し、それを内的ドラマとすることによっ
 て、民俗と現代人との饒舌な和解がおこなわれたからである。しかもそれが、
 時代の暗部をえぐり出すかたちで試みられたところに、寺山の大きな特色が
 あり、はやくも昭和三六、七年の段階から四十年代の根源的な課題をあきら
 かにするものであった。
                         (篠弘『篠弘歌論集』)

 しかし、それが、「短歌形式が最終的に自己肯定に向かうということがわかったからです」という、佐佐木幸綱との対談とどうつながるのか。もし、この発言が文字通りであれば、かつて、寺山が「様式」と「私」にこだわり、先鋭化させていった契機かもしれない嶋岡晨との論争は、そのまま詩と短歌とのジャンル的な差異だけを明らかにしたまま、いつか寺山の中では終息してしまったのかもしれない。いや、むしろ、その差異が必要だったとも考えられる。嶋岡晨の寺山批判として『篠弘歌論集』に引かれている、「寺山の作品には、ドラマティカルな〈私〉が現れているだけで、徹底的に〈私〉を追求していない」や「強靱な客観的精神によって別のものに転化された〈私〉こそ〈典型〉となるものであるとぼく(嶋岡晨)は考えていますから」とか、「ぼく(嶋岡)のいう〈自我〉は決して単なる〈私〉ではなく〈私〉を創造する根底にあるもの、〈私を変革する私〉、一つの世界観であるということです」に対して、寺山は「人間の劇的性格こそ作歌の動機」や「〈私〉的なものの掘り下げから普遍的な〈個〉を生みだそうとする現代詩人とは二律背反である」や「〈私〉がつねに普遍性をもち、万人の中で自発性をもちうることが実は大切である」として反駁していることが、そのまま宙づりにされる。
 おそらく寺山修司は、短歌における「私」の問題は問うただろうが、短歌の中で、「私」を批評的に扱うことはしなかったのではないだろうか。「私」を探すことが、そのまま「私」を強靱な批評にさらすことにはならない。嶋岡晨の批判に現れる「私」は、より時間的な存在としてあるのではないだろうか。あるいは弁証法的と言っていいのかもしれない。寺山の「劇的性格」は空間の中に「私」を置き去りにする。つまり、『田園に死す』で、問いつめられる自己に至るのは、普遍に至るのは、自己批判の先に統合された自己の在処としてではなく、あるいはなりうべき総体としての自己ではなく、むしろ、それぞれの歌に偏在している「私」たちが、『田園に死す』という世界として現実世界と対抗している、その拮抗線上においてなのだ。
 確かに、寺山の中では、どこまで追求しても「自己肯定に向かう」ということは、受け入れがたさになりうる理由だったのかもしれない。時代を回顧するように、いや回顧するふりをしてかもしれないが、対談で寺山は「六○年代は価値喪失の乱世で、あらゆる形式が崩壊に向かっていた。(中略)政治的な激動期の中での七五調は、一つの自己模索の過程をはらんでいた」と語る。さらに、「短歌をつくることが逆に自己破壊でありうるという時代にあって、あなた(佐佐木幸綱)なんかも短歌を始めたわけだけれども、いま(七六年当時)はそうじゃない」と語っている。その上で、「散文の文脈との相補性の中で、対立物を持たないですむ状況に向かっていく感じだな。地響きを立ててさ。暴力的な出会いを全く欠いている」と批判的な言葉を発している。佐佐木幸綱も、寺山の批判的な言葉には同調しないまでも、「自分の位置を確認できる何かのそばに行きたいという雰囲気は、たしかにあるみたいですね。だから短歌をつくることが、すでにスキャンダルではなくなってしまった」と受け答えしている。そして、寺山は短歌の外に出る。「集団が、自己解体のための一つの有効な手続だと思って、短歌から一気にダイアローグに飛び込んでいったわけだけれども」という演劇への移行を語っている。
 現在の短歌の広がりは、一概には言えないが、この七六年当時の二人の対話の延長にある側面も持っていると思う。「自己破壊」や「スキャンダル」からは遠く、「自分の位置確認」としての「形式」や「束縛」への魅力。「価値喪失」と「形式が崩壊」する過程が続く現在にあって、「自己模索」と「自分の位置確認」の両方になりうる短歌の魅力に人々は惹かれているのかもしれない。
 その短歌の広がりを意識しながら、寺山の言った「散文の文脈との相補性」について考えてみると、次のような寺山の言葉が生きてくる。

  しかし、人は無人島に行っても自分というものを定義づけようとするだろ
 うかということが問題だと思うんですね。歌人にとって、短歌が非常に抜き
 差しならない表現であるということは、散文との緊張関係の中で、初めてと
 らえられるものだろうと思うんです。(中略)散文的な表現との葛藤なしでは、
 短歌の表現としての屹立性は問われないことになる。
  (佐佐木幸綱・寺山修司対談「現代短歌のアポリア-心・肉体・フォルム」)

 前衛短歌論争の時は、それ以前の短歌への様々な批判を受けて、現代詩との抗争に短歌の屹立性を見いだしてきた寺山が、ここでは散文との葛藤の必要を説いている。ジャンルがジャンルでいる自立性を、ジャンル横断した寺山が語るところが、いい。短歌においては、他ジャンルからの本歌取り-時に剽窃と批判され-を行いながら、短歌形式に現代詩、俳句の封じ込めを図り、演劇という、むしろ様々なジャンルの混交体に向かう寺山が、ジャンルという島宇宙が島宇宙で終わらないための葛藤を説いているのだ。
 このジャンル横断の姿勢は、寺山修司の短歌における虚構化された「私」の表現に呼応する。それぞれの状況、場面における「私」の創作。そして、これは、彼の「私」をいれる容れ物としての「肉体」という空間的な考え方とつながる。

  いまやっぱりぼくは、言葉に対峙するものは何かというと、心なんかじゃ
 なくて肉体だとおもうわけだよ。
   (佐佐木幸綱・寺山修司対談「現代短歌のアポリア-心・肉体・フォルム」)
         
 この言葉は、佐佐木幸綱の「心」と「言葉」について、「『心』と『言葉』という二元的な対立を思いつくところが佐佐木幸綱の歌人的な発想なんだと思ったね」と言った後に続くものである。これに対して、佐佐木はこう切り返す。

  寺山さんは、主として空間的な旅に出て行って、(中略)空間に広く出てゆ
 くことによって、日本というもの、あるいは東北というもの、あるいは寺山
 修司自身というものを確かめるみたいな形になっているわけですね。ぼくは
 どっちかというと、時間をさかのぼっていっちゃったみたいなところがあっ
 て。それと、「心と言葉」の問題は関係がある。(中略)広いところに行くと、
 (中略)すぐ自分が拡散していっちゃうような気がするんですよ。
  (佐佐木幸綱・寺山修司対談「現代短歌のアポリア-心・肉体・フォルム」)

 統一体のイメージが、この二人では違うのである。「心」は自己を時間の持続総体としてつなぎとめ、分裂を避けようとする。「時間をさかのぼる」や「自分が拡散」するという言葉の出方は、「心」によって、「私」が統合され自己を成立させようとする場合に起こる。時間の中で自らが生成していくのだ。対立、分散、批判し合う自己が時間の連続の中で自らを自らと認識し、統合化を行うところに「心」は現れるのではないだろうか。あるいは「心」が統合を成し遂げる。ボクらは生成変化する自らを、そうやって自分としてまとめる。木村敏の『時間と自己』では、時間の観念が生まれてから、分断された「いま」の中の自己を、「いま」を統合する「私」に出会わせることで「自己」が拡がりのある自分として認識できる過程が綴られていたが、「心」はそこに通じているのではないだろうか。これは、かつて嶋岡晨の寺山批判のスタンスにも共通するのかもしれない。
 佐佐木はここに言葉の問題を関連づけていく。

  人間は過去ともつながり合える、未来ともつながり合えるというところに、
 人間の言葉の意味があるんじゃない?つまり、サルの文化というのは連続し
 てゆかない。
  (佐佐木幸綱・寺山修司対談「現代短歌のアポリア-心・肉体・フォルム」)

 寺山は応酬して言う。

  ぼくはいまここにいても一方しか見えないわけだから、うしろ側で起こっ
 ている出来事というのはわからない。それは想像するだけだ。どうやったっ
 て世界の部分としかかかわれないわけだから、あとの大半は、イマジネーシ
 ョンあるいは言葉によって補っていくしかない。(中略)だからここで空間と
 時間という二元論じゃなく、手を触れられる現実と、手を触れられない現実
 として分けた場合には、柿本人麿もニューカレドニアや、パプア島の現地人
 と大差ない。
  (佐佐木幸綱・寺山修司対談「現代短歌のアポリア-心・肉体・フォルム」)

 本当に、ああ言えばこう言うの人だが、佐佐木の時間的、空間的を破産させようとしている。過去の人物も、現在の遠い地域の人物も、触れられなさでは同じだと言っている。その逆もある。すべてを「現在進行形」の中でとらえて、虚構の場所で出会わせることもできるのだ。案外、現在の仮想空間と現実空間の状況から考えれば、有効な分別かもしれない。
 そして、寺山は「肉体」を持ってくるのだ。

  ぼくは他者というものがからだの外側にだけあるものだという考え方は、
 正しくないと思っている。肉体というのは一つの容れ物にすぎないんで、一
 人用だ、個室だというふうに思われてきたけれども、実はそうではないので
 はないか。(中略)二人部屋もあれば、三人部屋もあるわけでね。そういう意
 味では、葛藤できるような肉体というのは十分にあり得る。
  (佐佐木幸綱・寺山修司対談「現代短歌のアポリア-心・肉体・フォルム」)

 肉体に宿る内在する他者とでもいえばいいのだろうか。そこでは肉体も変転しうる。人の体を裏返してみると、中に幾つかの大きな袋がぶら下がっていて、そこから数人が顔をのぞかせているようなイメージが湧く。あるいは大きなマントをした怪人がマントを開くと、その裏側に無数の人がぶら下がっているような感じがある。こういった他者への想像力を働かせながら、さらに、時間性による連続に疑いを持つのだ。

  一人でいる場合には、変わっていくということも、変わらないということ
 も、自身で引き受けられることだけれども、集団の中では別のことです。ぼ
 くは何一つ連続したものがないという形で歴史を認識している。
  (佐佐木幸綱・寺山修司対談「現代短歌のアポリア-心・肉体・フォルム」)

 歴史を「連続したものがないという形」で「認識」するとは、散文性への批判である。寺山修司の持つ劇的性格、彼が短歌に導入した「フィクショナルな〈私〉」は、「連続体」に疑いを持つ彼の発言の中に見いだせる。

  たとえばきのうときょうと同じことを言っても、それは変わらないんじゃ
 なくて、偶然に同じ観念が出てきたと考えるべきだと思っている。だからぼ
 くは「変わる」「変わらない」ということには興味はあるけれども、「変わる」
 「変わらない」という発想が、つねに一つのものを連続体としてとらえてい
 なければ成り立たない観念だということに疑いをもつ。きのうときょうが同
 じか変わっているかということは、きのうときょうが連続したものだという
 考えがなければ、出てこない問題だからね。そして万物を連続体としてとら
 える発想というのは、すでに散文の発想なんだ。
  (佐佐木幸綱・寺山修司対談「現代短歌のアポリア-心・肉体・フォルム」)

 連続する歴史性の否定という共時的な場での現象としての存在の現れ。そして存在することを確認し合うための他者あるいは、「私」という他者の導入。これは劇空間の創造であり、同時に演劇的なるものが散文に仕掛けた攻撃、影響でもある。

  だいたい、ぼくはストーリーを記述するとき、書く人間に対する疑いをは
 らまない小説というのは、信用できないという気がするわけです。
  (佐佐木幸綱・寺山修司対談「現代短歌のアポリア-心・肉体・フォルム」)

 こう続けて、先に引用した、「ぼくが『田園に死す』という歌集をつくってから短歌をつくれなくなったのは、短歌形式が最終的に自己肯定に向かうということがわかったからです」につながるのである。そして、

  同じように、散文を書いている人間が鉛筆を持って、「私は」と書き始めた
 ときから、「私」というものを一つの連続体としてとらえないと、叙事という
 ものが成り立たない前提をもつ。このことがどうにも疑わしいのです。
  (佐佐木幸綱・寺山修司対談「現代短歌のアポリア-心・肉体・フォルム」)

 寺山の「私」へのこだわりが見てとれる。この対談にもある「自己を複製化せず」しかし、「自分の容れ物に自分が入っていたい」という欲求は、連続体への疑いの結果として、「〈私〉というものの主体がどんどん入れ変わっていく」という形式に引かれていくのである。
 「私」は消されながら、どこにでも偏在する。いることといないことを証明するかのように。「手を触れられる現実」にも、「手を触れられない現実」にも。そう、実在することと、言葉で存在することを往来しながら。ただし、「私」が「私」を探すかぎりにおいてであり、探すことによって、「私」は「私」に出会ったり、「私」を見失ったりする。それは忘れることとは違うのだ。

九 鑑賞のさきに

 『月蝕書簡』に導かれ旅に出た。寺山修司が寺山修司としてある世界。そこから届く短歌たち。『月蝕書簡』の言葉の先に寺山修司が立っている。彼の言葉の快楽が手招きをする。

 地の果てに燃ゆる竈を尋ねゆきしいまひとたびのわれは還らず

 そして、

 みずからを預けんと来し駅前の遺失物預かり所の窓の雪

 寺山還らず、ただそこには、

 一本の釘を書物に打ちこみし三十一音黙示録

 が、ある。


参考・参照・引用文献

田中未知編『月蝕書簡』(岩波書店)
菱川善夫『詩のありか』から「前衛短歌」(国文社『現代歌人文庫』)
篠弘『篠弘歌論集』から「前衛短歌論争」(国文社『現代歌人文庫』)
中井英夫『中井英夫短歌論集』から「中条ふみ子と寺山修司」(国文社『現代歌人文庫』)
寺山修司『寺山修司歌集』(国文社『現代歌人文庫』)
寺山修司『寺山修司詩集』(角川書店)
寺山修司『花粉航海』(ハルキ文庫)
『新潮日本文学アルバム寺山修司』(新潮社)
小高賢『現代短歌作法』(新書館)
田村隆一『腐敗性物質』から「帰途」(講談社文芸文庫)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 寺山修司『月蝕書簡』(2) | トップ | 田村隆一『四千の日と夜』(1) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

詩・戯曲その他」カテゴリの最新記事