パオと高床

あこがれの移動と定住

姜尚中『姜尚中の青春読書ノート』(朝日新書)

2008-05-23 13:15:17 | 国内・エッセイ・評論
帯書きに「注目の政治学者が疾風怒濤の学生時代に出合った珠玉の古典に学ぶ〈世界とのつき合いかた〉」とある。
大澤真幸によって「理想の時代」から「虚構の時代」への転機として位置づけられた1970年。著者の青春はその渦中にあって、自らへの問いと社会への問いを深化、先鋭化していったのだ。紹介された本五冊が、その当時の著者の置かれた状況、心的状況と重なりながら、そこから何を読みとっていったのかを伝えてくれる。取り上げた本、著者自身、当時の社会状況、現代の状況がすべて陸続きに語られる。配置された問題をその距離を確保しながら遠近法で語りあげる手腕が見事だった。

熊本から東京への自分自身の上京と三四郎を重ねる『三四郎』についての第一章。それは、当時の夏目漱石の日本への批判的眼力と呼応しながら、青春期の姜尚中が感じた東京への印象に繋がる。そして、日露戦争当時と70年代を比較しながら、さらに現在の東京について考察し、「亡びるね」という広田先生の言葉に現在の危うさを込めていく。現代の政治学者姜尚中が、青春期の回想の先にきちんと現れてくるのだ。
さらに二章の『悪の華』の章は、ボードレールの頃のパリをイメージしながら、70年代韓国ソウルの状況と東京の比較に合わせて、引き裂かれた自身の心を語り、憂鬱な時期に何を考えたのかを検証していく。それは、金大中拉致事件や韓国の民主化運動と連動しながら、三章『韓国からの通信』に関係づけられていく。ソウルの変貌に民主化を果たしていく韓国の立ち上がりと、著者自身が韓国を訪れ、自らの煩悶から自立していく過程を重ね、さらに南北の関係を将来性も含めて記述する。その著者の態度は政治思想史という学問との出会いから始まったとする四章『日本の思想』での丸山真男との出会い。事柄に「距離をおく」ことの大切さを知り、「スタンスを持つ」ことを学んだ姜尚中が座標軸を作り星座を作成することで政治思想史の有効性に気づく姿が語られる。「星座」という言葉にベンヤミンを連想してしまった。そして、その政治思想史的態度の実践としてマックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が五章に配置される。人間を支える「意味への意志」(フランクル)を引きながら、ウェーバーによって「意味問題」を中心に考えることの新鮮さに触れたと語りながら、労働の転化と現代の資本主義の姿に批判を加えていく。

さらりと読める。しかし、かなり刺激的な一冊。歴史と個人の同調性の力を感じさせてくれた。また、思考のスタンスが、いかに広範囲にわたって物事を認識する術になるかをわからせる強靱な思考力の一端に触れることができたような気がする。次への思考に誘ってくれる一冊だった。



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