パオと高床

あこがれの移動と定住

加藤周一『加藤周一講演集Ⅱ 伝統と現代』(かもがわ出版)

2009-09-18 22:43:47 | 国内・エッセイ・評論
講演の名手ではないだろうか。そして、明晰な人。さらに明晰を好む人。「知の巨人」はその「知」を伝達する達人でもあった。

この集に収められている講演は、どれもまず、何をどう話そうとするかを提示してから語り始められる。また、文体や死生観、時間空間意識などについて話すときに、まず分類や問題点がいくつあるのかを示してから、話を展開していく。平易な耳に入りやすい言葉を選んでいるかのようであり、また、問題が整理され分類、分析から総合へ向かう道筋が明確なのだ。

「よく考えられたことははっきりと表現される」として、曖昧模糊、もやもやを排する。例えば、ヴィットゲンシュタインの言葉が引かれているのだが、加藤周一は「言えることははっきり言う。言えないことについては黙っている」と明快に訳す。従来の「語りえないものについては、沈黙しなければならない」に比較すると、つきまとう難解さは一掃される。ボクなんかは表現の限界性の云々で、このフレーズを考えていたし、論理と論じられることの境界なんかも考えてもいたのだが、すっきりとフレーズが立ってきた感じだった。そして、「林達夫 追悼」という弔辞で、加藤周一は次のようにこのフレーズを使う。

「このような精神のあり方は、そのまま文章にあらわれ、その文章は常に明瞭であり、殊に「日本浪漫派」ふうのあいまい主義が一世を風靡した時代には、まさに偶像破壊的に明瞭でした。物事の不明瞭な理解とは、要するに無理解と同じことです。しかるに目標は、世界の理解にありました。「いえることは、はっきりいい、いえないことについては、黙っていたほうがよろしい」のです。その文章の背後に、豊富で豊かな知識があり、行間に鋭敏な感受性があふれていること、みずからいうところの反語が駆使されていることはいうまでもありません。かくして林達夫の不朽の功績は、自分自身を語らぬことによって自分自身を語る日本語の散文を作りあげた、ということではないのでしょうか。」

ここで、加藤は林達夫の姿勢、スタイルに重ねて、「黙ることで語る」という反語まで駆使してみせるのだ。

他に、日本絵画における「線」の変遷を辿る講演や、文体についてで、石川淳の対句の見事さと中野重治の細部へと、より本質へと降りていく「考えながら書く」文体の巧みさへの検証など興味深い講演が並んでいる。政治、文化、科学あらゆるジャンルに渡って思索を重ね、さらに総合的に展開する視野を持つ、稀有な哲人の一人だったと改めて気づかされた。
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