パオと高床

あこがれの移動と定住

立花隆『エーゲ 永遠回帰の海』写真・須田慎太郎(書籍情報社)

2007-05-10 23:50:15 | 国内・エッセイ・評論
立花隆の『ぼくの血となり肉となった500冊そして血にも肉にもならなかった100冊』を読んでいたら「ぼくが書いたたくさんの本の中でも、内容的に3本指に入る本だと思う」と書かれていたので、これはと思って読んで見た。
内容もさることながら、あとがきにもあるように、ふんだんな写真が収められたこれだけの本が、1500円という値段なのが驚きだ。
1972年にヨーロッパを放浪したという作者の過去に、82年に連載のために取材旅行で回ったギリシャ、トルコをめぐる思考が重なり、さらにすぐ本にならずに、2005年までの時間が経過することで生まれたであろう熟成が加わった一冊なのかもしれない。「永遠回帰」という時間の円環が作中に頻繁に出てくるが、立花隆がこの一冊の本成立に過ごした時間が、時の円環を実践したものではないだろうか。ギリシャ、トルコを巡るヨーロッパ思考の源泉、哲学・思索の源流を辿る旅は、膨大な作者の知のエッセンスのように一部を記述しながら、魅力的な写真と相互に対峙し合って、本という姿それ自体が創造的に存在している。
写真展が凝縮されたような写真と断章で構成された長い序。写真の中の断章がいい。アトスの修道士の顔が語るもの。廃墟が語る時間は現在を歴史の円環の中に位置づける。想像力が生み出す異形なものの美。ギリシャの神々の跳梁する姿に人間の世界観を見出し、その変遷について思索する。立花隆は書く、「物質界が観念を変えるのであって、観念が物質界を変えるのではない、という。しかし、私には、歴史はその逆を証明しているように思える。世界観の変化は世界を変えてきたのである。」と。「観念は世界を動かすことが出来るのである。」と。ドストエフスキーや自然哲学、思弁哲学に沈潜し、哲学史を体得しながら、知の最前線にいる立花隆ならではの言葉ではないだろうか。科学の前線も世界観が切り開いていく。さらに、その前線が世界観を変革する。
宿命的にも円環する歴史であっても、想像力の豊穣な世界なのである。
ちょっと変な言い方だが、立花隆版『街道をゆくーエーゲ海紀行』かな。


コメント
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