ベケットの詩と評論集『ジョイス論/プルースト論』の中のひとつ。
立花隆の本でヴィーコについて興味がわいたのだが、そのヴィーコの歴史哲学を援用しながら、ダンテを絡ませ、ジョイスの文学の特質と意味を描き出す。その語りのなかには、例えば「あたかも重ね合わせたハムサンドを観照するような」とかいった楽しくなるような表現がある。訳のせいもあるのだろうが、独自の表現をはさみながら、割と婉曲したような言い回しでありながら、断定があるといった文章になっている。
ヴィーコの歴史哲学が面白そうだ。歴史を「個人」のみにも運命などの「超個人」のみにも見ず、その双方の働きで見る態度は現在の社会心理学とか社会行動学とかの先取りなのではないかと思ったりもした。
ダンテの「浄界」の円錐構造とジョイスの「最高地点」なき「球形」構造の比較や、何かを語るのではなく表現態そのものがなにかであるとする内容と形式の一致をめぐるジョイス作品への言及は、ベケット本人の価値観や志向を同時に語っている。
刺激的なところが、そして語り口が、心地いいエッセイだった。
立花隆の本でヴィーコについて興味がわいたのだが、そのヴィーコの歴史哲学を援用しながら、ダンテを絡ませ、ジョイスの文学の特質と意味を描き出す。その語りのなかには、例えば「あたかも重ね合わせたハムサンドを観照するような」とかいった楽しくなるような表現がある。訳のせいもあるのだろうが、独自の表現をはさみながら、割と婉曲したような言い回しでありながら、断定があるといった文章になっている。
ヴィーコの歴史哲学が面白そうだ。歴史を「個人」のみにも運命などの「超個人」のみにも見ず、その双方の働きで見る態度は現在の社会心理学とか社会行動学とかの先取りなのではないかと思ったりもした。
ダンテの「浄界」の円錐構造とジョイスの「最高地点」なき「球形」構造の比較や、何かを語るのではなく表現態そのものがなにかであるとする内容と形式の一致をめぐるジョイス作品への言及は、ベケット本人の価値観や志向を同時に語っている。
刺激的なところが、そして語り口が、心地いいエッセイだった。