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パオと高床

あこがれの移動と定住

アンドレアス・セシュ『囀る魚』酒寄進一訳(西村書店)

2016-07-08 23:41:49 | 海外・小説
いやー、面白かった。書名に惹かれて読んだ一冊。物語の物語というのだろうか。物語をめぐる物語とでもいおうか。

  よりによって書店で火がつくとは。

という書き出しで始まる物語は、書店で火がつく、書店に、書物に、物語に恋する物語だ。そして、物語のヒロインへ
の思いに火がつく小説だ。

内気な少年ヤニスはアテネ旧市街の古びた書店に迷い込む。

  かすかに音をきしませて、古い木の扉が開いた。
  そしておそらく新しい人生も開かれる。おそらく、というのは扉をくぐるとき、
 その奥でどのような転機が待ち受けているか、だれにもわからないからだ。

書店の扉を開いた彼は、読書好きが書物を開いて様々な世界に出会うという扉を開くように、彼の物語に出会っていく。
それは、すでに語られた過去の多くの物語に出会う旅でもある。様々な書物に出会いながら(この本で出てくる書物一覧
が最後に紹介されている)、彼は神秘的な女店主リオと、読書の愉悦や物語の構造や働きを語り合っていく。
例えば、

 「書物が天地創造に等しいなら、この世界は最高の本ということになるかもしれません」
 リオは言った。
 「だとしたら、だれが書いたのでしょう?」(略)
 「さあ」リオは考えるそぶりをした。「創造物自身が先を書きつづけるのではないでしょうか」

とか。

 「文字は時を超える最強の力と言えるでしょう」

とか。また、こんな言葉だけではなく、詩的であったりイメージ豊かな表現であったりが散りばめられている。
こういう言い回しもあった。

  もしかしたら人生の四十四頁で眠ってしまい、夜中に運命が頁をめくったのに、人生は四十五頁へ
 と進まず、四十四頁の最終行にとどまっていて、勢いをつけて次の頁へと助走している、そんな状況
 かもしれない。

や、

  太陽が沈み、世界に謎がひとつ増えた。

物語は、古今の物語表現を駆使しながら、作者の繰り出す表現に乗って進んでいく。失踪したリオを探すヤニス。
彼女は誰なのか。ヤニスとリオの物語は、もうひとつのストーリーの流れであるアーサーの物語と重なっていく。
そこには様々な文学上の虚実が織り込まれる。そして、ついには神話的世界にまで至る。
結果、この『囀る魚』という小説自体が、物語の虚実を面白いように溢れさせた物語になる。

物語が生み出すものは、物語なのだ。つまり、世界を出現させるのだ。そこではリアルは虚構の中に住む。

 

パトリシア・ハイスミス「かたつむり観察者」小倉多加志訳(早川書房『11の物語』)

2016-06-26 17:23:34 | 海外・小説

田島安江という詩人の詩にこんな一節が出てくる。

 畑に雨が降ると
 カタツムリがどこからか現れる
 パトリシア・ハイスミスの短篇に
 カタツムリに殺される男の話が出てくる

で、気になっていながら、いつか忘れていた作家の名前に出会った。
今回こそは彼女の小説一つぐらい読もう。何度読もうとしながら忘れてしまっていたか。
この本は11の物語からなる短編集。裏表紙の紹介文は「忘れることを許されぬ物語11篇を収録」とある。

主人公ノッパード氏は台所のボウルの中にいた2匹の食用かたつむりが行う優雅ななまめかしい振る舞いを
目撃する。そして、そのかたつむりの繁殖行動に彼は惹きつけられてしまう。産卵していくかたつむりを
書斎で飼う彼。かたつむりは増殖を重ね、書斎は怖ろしい状況になっていく。
むかし、「ウルトラQ」にナメゴンというナメクジの怪獣が現れたが、あの怪獣も粘液質の皮膚感覚を伴っ
た気持ち悪さがあったが、これはそれに、さらに、小さいものが無数にいるというざわつくような皮膚感覚
まで加わる。確かに「忘れることを許されぬ」小説だ。というより忘れないだろう、これは。かりに忘れて
しまうと、梅雨の時期などにふいに記憶が復活しそうだ。

かたつむりを観察し、惹かれたものが、逆にかたつむりの中に埋没してしまう恐怖。ただ、この小説はそん
な理屈はいらないのかもしれない。ただ、崩れている。その危険な快楽がある。
それにしても、かたつむりを熟視し続ける感性というものがあるのだということが、面白い。そう、ボクの
嗜好から気味悪いと思ったが、千差万別、嗜好には多様性があるのだ。とてつもなく愛らしさを感じる感性
だって、もちろん、あるのだ。
それから、かたつむりの求愛行為は、この小説に書かれているようなのだろうか。そうだとしたら、確かに
優雅で官能的だ。それを見つめる観察者は、超一級の観察者だと思う。
小説の原題は訳通り、そのものずばりで、「The Snail-Watcher」。

ケリー・リンク「パーフィルの魔法使い」柴田元幸訳(早川書房)

2016-03-27 10:40:11 | 海外・小説
『プリティ・モンスターズ』収録の一篇。
これはよく出来た小説だ。裏表紙に「傑作ファンタジー」と書かれて紹介されていたけれど、シンプルな線があるので入りやすい。
例えば、この小説集の「プリティ・モンスターズ」に比べるとということだが。もちろん、入りやすさという話であって、
「プリティ・モンスターズ」の構造の複雑さは凄いと唸ってしまうわけで。
オニオンとハルサという、いとこ同士の二人。ハルサは魔法使いの召使いとしてパーフィルに連れていかれる。そこで、魔法使いに
奉仕させられるのだが、魔法使いは姿を見せない。家族や人々の危機を魔法で助けてもらおうと願うのだが、魔法使いは現れないし、
魔法を使わない。その中で、彼や彼女たちが生き抜いていく、築いていく未来への希望の力が詩情を滲ませながら描き出されていく。
オニオンとハルサは心を覗くことができる。また、ハルサは先を見る能力を持っている。そんな二人の成長物語としても読める。
どこか筒井康隆の七瀬シリーズ『家族八景』を思いだした。そして、宮崎駿のアニメも連想した。宮崎アニメの影響はあるのかもし
れない。この小説は2006年の発表だから、それもありかも。

  オニオンの頭の中で声が聞こえた。「坊や、心配するな。すべてうまく行く、
 あらゆる物事はうまく行く」。トルセットの声のような、少し面白がっている、
 少し悲しげな声だった。

トルセットは、魔法使いの召使いを買いに来る、魔法使いの召使い頭である。この人物も魅力的だった。

ケリー・リンク「墓違い」柴田元幸訳

2016-03-09 11:45:31 | 海外・小説
早川書房から出版された『プリティ・モンスターズ』の最初に収録されている小説。
本当に久しぶりに読んだケリ-・リンク。やはり面白かった。

この本、各小説のタイトルの裏に挿画があって、一節が添えられている。この「墓違い」では、小説の中で出てくる像が描かれている。
その像は、頭がもげた聖フランチェスコ像に、ガネーシャ象神という象の顔をした神の頭を載せたものだ。そして、添えられた一節が、
「誰だって、うっかり違った墓を掘り返してしまうことはある。」なのだ。
ドキッとしながら、クスッと笑ってしまう。まず、誰だって、墓を掘り返したりしないだろうと、思ってしまう。が、そのあり得ないこ
とがあり得ても平気で、それでいながら奇妙なのがケリー・リンクだ。
笑いながら、切なくて、怖い。スリリングで突拍子もないのに、あたりまえのように描かれて、そのあたりまえさの中に入っていきなが
ら、奇妙さが面白い。とんでもない出来事が起きているのに、起きていないようで、あれ、この何もなさって普通じゃんと思うと、その
状況自体がとても普通じゃないことを思い起こす。拘束されずにせき立てられずに、いつか踏み外している快感。それが、楽しい。
この小説の書き出し。すでに語り手と登場人物がいる。一気に奇妙さへ。

 あんなことになったのもみんな、マイルズ・スペニーという、あたしがむかし知っていた男の子が墓泥棒の真似事を
思いついて、ガールフレンドだった、死んでまだ一年も経っていないベサニー・ボールドウィンの墓を掘り起こそうな
んて了見を起こしたからだった。目的は、ベサニーの棺に入れた自作の詩の束を取り戻すこと。入れたときはロマンチ
ックで美しい行為に思えたわけだけど、実は単にすごく間抜けな真似だったのかもしれない。何しろコピーも取ってお
かなかったのだ。

と、こう始まる。ユーモアを交えながら、ワクワクさせる。スペニーは彼女を亡くし、彼女に捧げる詩を棺に入れて埋葬した。詩人に
なりたい彼は、詩のコンクールに出品する作品を考えたときに、埋葬した詩の束が素晴らしかったと思い、どうしても取り戻したくなる。
そして、墓を掘り起こしてしまうのだ。そして、掘り返した墓が、……。ここから、表紙裏の一節と、その一節から、読者によっては逸
れていく、あるいは予想通りの、物語が紡がれる。どちらにしても面白いのだ、意表を突かれても、突かれなくても。そして、後半何だ
か、切な哀しさがふっとよぎる。ページにして30ページほど。すぐに他の作品も読みたくなってしまう。

こんな一節もあった。

 詩人とは、瞬間の中で生き、と同時に瞬間の外に立って中を見ている存在であるはずだ。

フーム。谷川雁という詩人は「瞬間の王は死んだ」といって詩をやめたという。
もうひとつ。印象に残った場面。墓を掘り返したときに、そこに眠る女の子が口を開く場面。

 「トントン(ノックノック)」と彼女は言った。
 「え?」とマイルズは言った。
 「トントン」と(略)女の子はもう一度言った。

いいよな。

ロベルト・ボラーニョ『通話』松本健二訳(白水社)

2015-04-11 09:29:53 | 海外・小説
三部構成の短編集。
最初の一篇「センシニ」の不思議な味わいに、やられる。
あっ、なんだ、これ。人との関わりの糸から漂い出るような、それぞれの人が持つ世界の感触。
「センシニ」は、スペインに亡命しているアルゼンチンの作家と僕との交流を描く短編だ。
懸賞小説を狙う僕は、懸賞を取り続ける作家センシニに手紙を出す。
そのことから二人の間に奇妙な友情が生まれる。連帯感への通路が築かれるというのかもしれない。だが、それは作家のアルゼンチンへの帰国によって途絶える。
そこにある、彼の息子グレゴリオの死の不可解。また、書かれなかった亡命の内実。それらが、小説に奥行きをもたらしている。
グレゴリオはカフカの『変身』の主人公にちなんでつけられた名前であり、そうすると作家が、自身の好きなカフカの登場人物の名をつけたというだけではなく、
この状況の書かれなかった部分を暗示することにもなっている。
主人公の僕が、かすかに興味を寄せた作家の娘ミランダと会うラスト部分の会話文体がいい。

  ふいに僕は、二人とも穏やかな気持ちになっていることに気がついた。何か不思議な
 理由で、僕たちはこうしてここにいる、そしてこれから先、いろいろなことが、かすか
 にではあるが変わろうとしているのだ。世界が本当に動いている気がした。(略)
  そして、その声さえも自分のものとは思えなかった。

会話は地の文と同じようにカギ括弧なしで書かれている(訳されている)。二人は互いに相手の声を聞いているのだ。

短編集の表題になっている「通話」は、8ページほどの短い小説。主人公はB。ボラーニョのBとも考えられる、彼がよく使う登場人物。そしてBが恋したX。

  BはXに恋をしている。もちろん不幸な恋だ。

こう書き始められる。すべて削がれた小説。
BはXに電話をかける。何故か。Bを好きだから。そして、ある日警官が来る。Xが殺されたのだ。Bは事情を聴取され犯人と疑われる。
釈放されたBはXの兄を訪ね、犯人が誰なのかの可能性を探る。一週間後警察が犯人を捕まえたということを兄はBに電話してくる。という、小説だ。
物語は物語られる一切を封じて8ページだけで終わる。Bは犯人ではないのか。読者は、ここから想像、空想へ向かう。
ただ、人が人と関わる繋がりの痕跡だけは残るのだ。それが生きていることの証となるのかもしれない。「通話」の不可能性も含めて。
そして、死が、明確な死が訪れない不意打ち感が心に宿る。
死とは、それを起こした原因と、犯罪であった場合はその加害者と、そして死の実体といったものが必要なはずなのだ。それが消されている。
外された梯子、通路。そこに滲むように存在する不安。
あっ、この短編の抜群の比喩をひとつ。

  蓋の開いた便器は、まるで歯が一本もない歯茎が自分を笑っているように見える。

短編集は、それぞれに趣向を凝らした作品からなっている。この人の長編を読んでみたいと思った。
50歳で死んでしまったボラーニョ。気になる作家になった。