ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

浦和学院 選抜甲子園を制覇  その1

2013年04月07日 16時37分59秒 | スポーツ・自転車・ウォーキング


13年4月3日(水)――。この日は、さいたま市民、いや埼玉県民にとって歴史的な日になった。

緑区にある浦和学院が、春の第85回選抜大会の決勝戦で、愛媛県の強豪斉美(せいび)に17-1で大勝、埼玉県勢としては1968年の第40回の大宮工以来、45年ぶりに優勝を飾ったからだ。

この日午後、日ごろ愛郷心が薄いと言われる市民も、県民も、千円床屋でも安酒場でもラジオやテレビに熱中し、「ウラガク」の大量得点に「いけいけ」と声援を贈った。

清水勇人市長はもちろん、上田清司知事も甲子園に駆けつけた。知事は「歴史に残る勝利だ」と県民の喜びを代弁した。

スクールバスが出るJR東川口駅前などで、各新聞社は何千部もの号外を配布した。埼玉県をテーマにして号外が発行されるのは、これまであったのだろうか。

市役所や東川口の他、浦和、南浦和駅などには「祝優勝 浦和学院」と大書した横断幕や看板、貼り紙が掲げられた。

紫紺の優勝旗を学院に持ち帰ると、県は「彩の国功労賞」を贈る方針を決めた。市は創設されたばかりの「市長特別賞」を贈る。

「彩の国功労賞」は02、12年に、世界三大サーカスの一つ「木下サーカス」に送られたことがあり、これが3度目。

愛郷心は昂揚し、「ウラガク」はサッカーJ1の「レッズ」とともに、一躍、124万市民の郷土意識のシンボルになった。

「次は夏の甲子園だ」がチームとともに市民の合言葉になった。

よみうり時事川柳には

 センバツで埼玉の上「ダ」が取れる

という句が掲載された。

恥ずかしながら、学院の名前は知っていても所在地は知らなかった。あわてて地図で確認すると、東北自動車道を挟んでレッズの本拠地「さいたまスタジアム2002」の西側にあり、「さぎ山記念公園」のちょっと南にある。

新聞報道によると、浦和学院は男女共学の私立で、生徒数2383(男1253、女1130)人。1978年創立で、野球部も同年できた。創学、創部35年目の快挙だった。

1986年夏に甲子園に初出場するとベスト4入り。春夏通算20回目の「甲子園常連校」で、選抜は3年連続9度目、夏は11度出場している。

92年春にもベスト4。いつも優勝候補に挙げられながら、ベスト4止まり、決勝進出は初めてだった。

県内のライバル校「大宮東」は93年の第65回、「聖望学園」は08年の第80回選抜で準優勝している。

プロ野球にも何人も先輩がいて、PL学院、横浜同様、高校野球界の名門なので、部員数約100人に全国から優秀選手が集まるようになっている。協志寮という寮もある。

決勝5回に逆転打を放った主将の3番、山根佑太中堅手は遠く広島市出身。

決勝で5打数4安打と大活躍の西川元気捕手、一番の竹村春樹遊撃手はいずれも栃木県小山出身。

前主将の高田涼太三塁手は朝霞、エースの二年生小島和哉は鴻巣出身で埼玉勢だ。

監督の森士(もり・おさむ 48歳)は上尾高、東洋大で投手だった。怪我に泣き、背番号をつけることはなかった。恩師の招きで浦和学院に入り、91年27歳で監督に就任、92年春にベスト4入りと幸先の良いスタートだった。

しかしその後、優勝への道のりは長く、就任22年目、18度目の甲子園出場で宿願を果たした。