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埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

「内陸型工業県」 

2014年08月26日 17時27分13秒 | 県全般
「内陸型工業県」 

「京浜工業地帯」という言葉に象徴されるように、工業地帯は海に面した「臨海」のイメージが強い。

埼玉は「海なし県」なのに、1955(昭和30)年代中頃から、「東京への食糧供給基地」としての農業県から工業県へと転換を始め、「内陸型工業県」、「埼京工業地帯」という言葉が創られたほどだった。

85(同60)年には製造品出荷額が全国第6位、91(平成3)年第5位、と主要工業県に変貌した。

2012年は製造品出荷額が12兆円余で第6位、事業所数は1万3千余で第4位、従業員数は37万余で第4位だった。

「埼京」の言葉どおり、東京へ近く平坦で交通の便がいいのが強み。工業構造は加工組立型を中心とする重化学工業、電子機器関連のハイテク産業へと変わってきている。

県は52(同27)年、工場誘致条例を制定した。戸田町など38の市町村もこれに習った。しかし、誘致工場への奨励金がかえって財政を圧迫してきたので、55(同30)年には廃止に追い込まれた。

これに変わって、日本住宅公団が住宅団地と並んで、工業団地の造成に乗り出し、県や市町村もこれに習った。

埼玉県内の工業団地の開発は、日本住宅公団が造成した1960(昭和35)年のさいたま市北区吉野町にある大宮吉野原工業団地と深谷工業団地の造成から始まった。県ももちろん協力した。

吉野原工業団地は、国道16号と17号が交差する地点にあり、ニューシャトルの吉野原駅にも近い。大正製薬やプラスチック加工メーカー信越ポリマー、日本製罐などがあるので、ご存知の方が多いだろう。

深谷工業団地には、東芝の深谷工場などがある。

62(昭和37)年には日本住宅公団が主体の川越狭山工業団地の造成が始まった。

この工業団地は首都圏整備法に基づいて、日本住宅公団が川越、狭山市の協力で土地を買収、県が委託を受けて、都市計画事業として区画整理によって開発した。

国道16号線に沿い、関越自動車道の川越ICも真近。7万人が入居できる住宅団地も併設、西武新宿線を挟んで東西4キロ㍍、南北1キロ㍍のほぼ長方形。工業団地として当時、日本最大の規模だった。

約70社が立地、川越市側に大林組、雪印乳業、図書印刷、光村印刷、狭山市側に本田技研、ロッテ、全酪などがある。

工業化に伴う工場進出は公害という副産物を伴った。地盤沈下、大気汚染、水質汚濁である。

1958(昭和33)年9月26日未明、台風22号の豪雨が、荒川の増水、芝川水門の破壊を招き、川口市領家町を中心とする芝川沿岸地帯を、水深2mの浸水となって襲った。

川口、鳩ヶ谷、戸田、蕨市の多くの地域が、床上、床下浸水の被害を受け、その水は5日間引かなかった。

カスリーン台風以来の大災害であった。その原因調査で、地下水の大量汲み上げによる地盤沈下によるものと分かった。本県は東京、千葉、神奈川と並ぶ地盤沈下被害県になったのである。

1970(昭和45)年7月18日午後には、「光化学スモッグ」が東京都と本県南部を中心に初めて発生、川口、蕨、戸田、新座の各市の小、中学校で、目、のどの痛み、吐き気などの症状が出た。

埼玉県は光化学スモッグ注意報の発令回数が全国一多い県で、2010年までの15年間は1位の年が9回、それ以外の年も必ず3位以内という注意報多発県だった。

水質汚染では、綾瀬川、不老川が「全国一汚い川」のレッテルを貼られたこともあった。綾瀬川は1980年から連続して15年間最下位だった。

工業県は公害県でもあった。


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