ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

さきたま古墳群 行田市

2010年06月14日 04時07分10秒 | 市町村の話題



お墓の上を歩くのはなんと気持のいいことかーー。埼玉県の東北部にある「さきたま風土記の丘」(さきたま古墳公園)にある「さきたま古墳群」の前方後円墳の上を、10年に初めて歩いた感想である。

日本の古墳とは、エジプトやインカと違って、天体観測とは無関係のようなので、ずばり墓である。

海もなければ、秩父地方を除けば山もない埼玉県。特に茨城県寄りの東北部はどこまでもまっ平らで、高いところはないから、古墳の高みは平野を見下ろす絶好の見晴らし台になる。それに梅雨直前のさわやかな風が渡って来ていたたからなおさらだ。

2千年前の古代蓮「行田蓮」が10万株も浮かぶ「古代蓮の里」(世界のハス約40種類約2万株もある)では、満開の美しさに思わず「すごい!」とうなったことは何度もあるのに、そこから近い日本でも有数の「埼玉古墳群」(19年9月、国の特別史跡=国宝に申請)を訪ねたのは初めてだった。

4年ほどカイロにいた頃、ギザのピラミッドなど石の古墳はいやというほど見た。土の古墳を見るのは、大和を訪ねて、「大山古墳(伝仁徳天皇陵)」などを遠くから仰いで以来のことだ。

その上を歩いた古墳は、5世紀後半に造られたと考えられる「稲荷山古墳」である。 (写真)高さは後ろにある円墳の方が高く11.7mだが、この平野ではけっこうな高さだ。晴れた日には、富士山、赤城山、筑波山なども望める。

稲荷山は、「世紀の大発見」と騒がれた有名な国宝「金錯銘(きんさくめい)鉄剣」が出土した古墳だ。「金錯銘」とは、金で象嵌した文字という意味。

鉄剣の表、裏に金文字115字で、分かりやすく言えば「(墓の主)オワケの先祖は代々、(天皇)の親衛隊長を務めてきたが、オワケは雄略天皇に仕え、天下を治めるのを補佐した」「471年7月に刀に功績を刻んで記念とする」と万葉仮名風の漢字が刻まれている。

このオワケが何者であるかについては諸説がある。わずか115字ながら金石文(金属や石に刻まれた文)としては全国で最も長文だとのこと。この剣や出土した副葬品を展示してあるのが、古墳公園内の「県立さきたま史跡の博物館」。

稲荷山の隣の「丸墓山古墳」は、その名のとおり円墳で、6世紀前半に出来た。直径105mで日本で2番目の大きさ。奈良市の富雄丸山古墳(4世紀後半)が、17年11月、従来より20m以上大きい直径110mの円墳と分かったと発表されるまでは、国内最大の円墳と言われていた。

高さ18.9mの頂きや斜面にソメイヨシノが10本ほど植わっているので、シーズンには見事だが、根が古墳の内部を傷つけているのではという恐れもある。

「丸墓山古墳」は豊臣秀吉の小田原征伐の際、石田三成の忍城水攻めの陣が置かれた所である。

そのほかにも、この古墳群ではもちろん、武蔵の国でも最大の未掘の前方後円墳「二子山古墳」や、実物の横穴式石室を古墳の中から見学できる「将軍山古墳」など合わせて9つの古墳がある。かつては40基もあったという。

時間を調べていけば、蓮の里、古墳公園、忍城などをめぐる循環バスがJR行田駅から利用できるし、古墳公園のまえでは名物「ゼリーフライ(おから入りコロッケ)」も楽しめる。ウォーキングには最適なコースだ。



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