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本多静六 嵐山渓谷 嵐山町
春の桜、秋の紅葉の季節になると一種の強迫観念にかられる。「今年はどこを見に行こうか」。今年の紅葉は嵐山渓谷と前から行先を決めていたので、気楽にその時期だけを待っていた。
「ちょっと遅れている」とのことだったので、10年11月24日「もう大丈夫だろう」と満を持してパソコンで確かめると、「見頃」とある。前夜来の雨も朝方にはあがって、天気も良くなりそう。
日が照っているかどうかで、紅葉の美しさは大きく左右される。喜んで東武東上線の「武蔵嵐山」駅に降り立った。駅から徒歩で40分とあるから、ハイキングにはもってこいだ。
杉林を歩いて見晴台に着くと、「嵐山町名発祥の地」の記念碑があった。
その裏には、「武蔵嵐山」の名称は、「日比谷公園」を設計した本多静六林学博士が昭和3(1928)年、この地を訪れ、紅葉の秋が京都の嵐山そのままだったので、思わず「これは武蔵嵐山」といったのが、そのまま地名となった。
昭和42(1967)年、町制施行の際、公募したら町名も「嵐山町」と決定した。
――と書いてある。
京都の嵐山は、四、五回訪ね、橋の上から眺めたことがある。埼玉県出身の本多博士は、私が敬愛する人の一人なので、埼玉の嵐山を一度訪ねてみたいとかねがね思っていた。
武蔵嵐山の秋は、蛇行する槻川(つきがわ)の渓谷とその斜面、大平山のふもとに点在するいろはもみじの紅葉がすばらしい景観をつくり出す。(写真) 槻川の青い淀みと澄んだ川の流れがいい。
桜もそうだが、紅葉の美しさも水とのコラボレーションで引き立つ。桜の東京の皇居のお堀端や弘前公園の堀の水は淀んでいる。岩に当たり、白く輝く川の流れにはとてもかなわない。
「見頃」とは難しい。本当の見頃、盛りに訪ねると、「花酔い」としか言いようのない至福に包まれる。西行法師が桜に魅せられたのは、そんな光景に出くわしたからだろう。
そんな貴重な経験をしたのは、一度だけだ。長野県の高遠にコヒガンザクラを見に行った時。大混雑で城址公園から遠くで観光バスから下ろされ、歩いて行った。今でも妻と「あれほどの桜を見たことはなかったね」と言い合っている。
ソメイヨシノは勤務地に近い上野公園を何度も見に行って、見頃に会えたこともある。
そういう意味から言えば、武蔵嵐山の見頃は数日前だったかもしれない。紅葉とは、シャンソンではないが、しょせん「枯葉」である。日が当たる所は、早く紅葉し、日陰では遅れる。
奥まで行くと、狭いながら美しいすすき原があり、与謝野晶子の歌碑もある。この人は、よほど旅の好きだった人だったようで、秘境好きの私が温泉などを訪ねるたびに“ご当地ソング”というべき石碑が立っている。
晩年は肥満体なのに駕籠に乗って訪ねた姿が、群馬県の秘境が売りの法師温泉の壁に貼られているのを見たことがある。
この歌碑は、「槻の川 赤柄の傘を さす松の 立ち並びたる 山の しののめ」とあった。私の好きな歌人の一人だが、残念ながら紅葉の時期の歌ではない。
本多博士は「関東平野にまれにみる景勝地」と折り紙をつけている。「さいたま緑のトラスト基金」が、「埼玉を代表とするすばらしい景観」だと、保全第3号地として取得した所でもある。
絶好の「見頃」に一度訪ねたい。
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