ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

越谷アリタキ植物園 越谷市

2010年12月31日 17時48分50秒 | 博物館



海外の赴任地が、三か所ともいずれも英国の元植民地で、必ず植物園があった。それが植物に親しむきっかけで、「さすが英国は世界のプラント・ハンターの発祥地だけある」と感心したものだ。

越谷市に植物園があると知ったのは、海外から帰って間もない頃で、「埼玉県にも植物園があるのか」と驚いた。

当時、「アリタキ・アーボレータム」と呼ばれていたこの園は、越谷高校の元教諭で植物学者だった有瀧龍雄氏が収集したもので、その名を冠している。「アーボレータム」とは植物園のこと。

01年に没後、02年に市に寄贈され、10年10月1日、「越谷アリタキ植物園」の名で開園した。新聞で知り、さっそく出かけてみると、きれいに整備されて、こじんまりした緑の空間が生まれていた。面積約7200平方m。

動物園や水族館を好きな人は多くても、植物園が好きという人は少ない。この園は、世界の珍しい植物を集めているのではなく、暖温帯性の樹木、つまり日本ではおなじみの木を中心に収集いているので、親しみのあるものが多い。

ていねいに木ごとにその名前が付いているのがうれしい。里山を一緒に歩いていても、杉と檜の区別さえつかない人が少なからずいる。それにサワラを加えると、「降参」というのが実情だからだ。

日本は俳句愛好者だらけ。最低百万から最高1千万人の間とも言われているのに、この3つの区別がつかないようでは観察に基づくはずの「写実」が泣く。

朝日新聞の埼玉版によると、ここには地元の「埼玉県東武自然観察会」の調査で、約300種、約1200本の樹木と約130種の草本類(草)があるという。

幹の周囲が約4.2mと大きい中国原産の巨樹シナサワグルミは二股で、入り口に大きくそびえているし(写真)、呼吸根を地上に出すのが特徴の北米原産のラクウショウもある。通路の中央部にはツバキ通りがあり、多くの種類が植わっている。季節には楽しみだ。


素晴らしいのはその所在地である。フジで有名な久伊豆神社の参道に面する。有瀧さんの父親が1898年(明治31年)に庭園として整備したものだとか。東武伊勢崎線越谷駅から約1.7kmで徒歩約20分。

一帯は市の「環境保全区域」に指定されていて、近くの元荒川沿いを散歩するのも楽しい。

「あんたがたどこさ」 川越市

2010年12月31日 11時53分14秒 | 文化・美術・文学・音楽
「あんたがたどこさ」 川越市

住んでいる所から近い、さいたま市の六辻公民館で毎年、「すこやかクリスマスコンサート」が開かれる。10年末も出かけた。もう9回目になるという。

この席上で、このコンサートのリーダーから「あんたがたとこさ」で始まる、あの懐かしい手まり歌が川越市生まれだという話を初めて聞いた。初めてというのは、私ぐらいなもので、知る人ぞ知ることらしい。いかに埼玉のことに無知なのか、われながら感心する。

そう言えば、先に「通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道じゃ」という童謡も川越市生まれだと聞いて、どんな所かなと見に行ったこともある。

「あんたがたどこさ」の歌は、「肥後さ」「肥後どこさ」「熊本さ」「熊本どこさ」「センバさ」「仙波山には狸がおってさ・・・」と展開していく。

センバのところが、熊本版では「船場」、川越版では「仙波」になっている。

熊本には「船場川」はあっても、「船場山」「仙波山}はないという。歴史をみると、川越版に分がありそうなのだ。

戊辰戦争当時、上野の寛永寺で抵抗した彰義隊の残党を追って、官軍が川越城の近くの仙波山に駐屯していた。

平地の埼玉県だから、川越にも山らしい山はないものの、喜多院の隣の現在の仙波東照宮あたりは仙波山と呼ばれた。おまけに東照宮の主、徳川家康は「狸親父」があだ名だったので、歌詞にもぴったりだ。

仙波東照宮は、家康を祀る日本三大東照宮の一つである。

歌詞が熊本弁ではなく、関東弁だというのもこの問答歌の川越説の根拠になっている。

官軍の兵士に川越の子供たちが出身を聞いている様子を思い浮かべると分かりやすい。

一方、「通りゃんせ」の方は、川越城本丸御殿近くの「三芳野神社」 (写真)が舞台のようだ。境内の一角にある石碑には「わらべ唄発祥の所」とある。

三芳野神社は川越城の鎮守で、城内にあったため、一般には開放されていなかった。
天神さまを祭るこの神社に、城内に入って参詣できるのは、年一度の大祭と七五三の祝いの時だけだった。だから、「この子の七つの お祝いに お札を納めに 参ります」なのだ。

「通りゃんせ」とか「細道じゃ」という歌詞は、関東弁ではなく、関西や西日本方面のものではないかという指摘もあり、「うちこそ発祥地」の声はほかにも聞かれる。

「行きはよいよい 帰りはこわい」と庶民がおずおずと城内から出て行く姿も、実感があり、歌詞の内容が歴史的な事実とぴったりなのが、三芳野神社ではないだろうか。