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「あんたがたどこさ」 川越市

2010年12月31日 11時53分14秒 | 文化・美術・文学・音楽
「あんたがたどこさ」 川越市

住んでいる所から近い、さいたま市の六辻公民館で毎年、「すこやかクリスマスコンサート」が開かれる。10年末も出かけた。もう9回目になるという。

この席上で、このコンサートのリーダーから「あんたがたとこさ」で始まる、あの懐かしい手まり歌が川越市生まれだという話を初めて聞いた。初めてというのは、私ぐらいなもので、知る人ぞ知ることらしい。いかに埼玉のことに無知なのか、われながら感心する。

そう言えば、先に「通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道じゃ」という童謡も川越市生まれだと聞いて、どんな所かなと見に行ったこともある。

「あんたがたどこさ」の歌は、「肥後さ」「肥後どこさ」「熊本さ」「熊本どこさ」「センバさ」「仙波山には狸がおってさ・・・」と展開していく。

センバのところが、熊本版では「船場」、川越版では「仙波」になっている。

熊本には「船場川」はあっても、「船場山」「仙波山}はないという。歴史をみると、川越版に分がありそうなのだ。

戊辰戦争当時、上野の寛永寺で抵抗した彰義隊の残党を追って、官軍が川越城の近くの仙波山に駐屯していた。

平地の埼玉県だから、川越にも山らしい山はないものの、喜多院の隣の現在の仙波東照宮あたりは仙波山と呼ばれた。おまけに東照宮の主、徳川家康は「狸親父」があだ名だったので、歌詞にもぴったりだ。

仙波東照宮は、家康を祀る日本三大東照宮の一つである。

歌詞が熊本弁ではなく、関東弁だというのもこの問答歌の川越説の根拠になっている。

官軍の兵士に川越の子供たちが出身を聞いている様子を思い浮かべると分かりやすい。

一方、「通りゃんせ」の方は、川越城本丸御殿近くの「三芳野神社」 (写真)が舞台のようだ。境内の一角にある石碑には「わらべ唄発祥の所」とある。

三芳野神社は川越城の鎮守で、城内にあったため、一般には開放されていなかった。
天神さまを祭るこの神社に、城内に入って参詣できるのは、年一度の大祭と七五三の祝いの時だけだった。だから、「この子の七つの お祝いに お札を納めに 参ります」なのだ。

「通りゃんせ」とか「細道じゃ」という歌詞は、関東弁ではなく、関西や西日本方面のものではないかという指摘もあり、「うちこそ発祥地」の声はほかにも聞かれる。

「行きはよいよい 帰りはこわい」と庶民がおずおずと城内から出て行く姿も、実感があり、歌詞の内容が歴史的な事実とぴったりなのが、三芳野神社ではないだろうか。


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