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画鬼・河鍋暁斎 その真価

2010年12月16日 09時53分47秒 | 文化・美術・文学・音楽


私がびっくりしたのは、この「釈迦如来図」を、日経新聞紙上で見た時だった。日経が、毎日曜日連載している2ページ通しの「美の美」欄で、10年7月に「画鬼、河鍋暁斎」と題して、上、中、下三回の特集を組んだのである。

釈迦が苦行中、やせ細り、あばら骨があらわな像には、仏教書などで何度かお目にかかった。だが、その手足の爪が、この図のように猛禽類か、猛獣のように伸びているは初めてだ。

「これはただ者ではない」と実感した。

その顔も西洋人風で、衣装や背景を変えれば、キリストの修行中と言っても通用するだろう。考えて見れば、釈迦は、インド原住民ではなく、西洋と同じインド・アーリア民族出身だから、当然と言えば、当然のことだが。

楠美さんが講演用に準備した資料を読むと、この絵は、前回に書いた肖像画の速描き競争に関係がある。

フランス・リヨンの富豪で、宗教の研究家でもあったエミール・ギメは来日中の明治9年(1876)、暁斎の絵と名を知り、お抱えの画家を連れて、暁斎宅を訪れた。その時に速描き競争があったのだという。

ギメとすっかり仲良くなってお土産に届けたのがこの図。ギメはその時の様子などを「日本散策―東京・日光」というタイトルで、帰国後1880年に出版。暁斎は生存中に海外でその名を知られる存在となった。

「修行していれば、爪が伸びるのは当たり前だろう」というのは、暁斎のユーモアに富む落語的な発想。釈迦の顔を西洋人風にしたのは、相手が西洋人だからという彼のサービス精神の表れだろう。

この絵は今、パリのフランス国立ギメ東洋美術館が所蔵。10年に金沢21世紀美術館に里帰りした。

「美の美」によると、これを再発見したのは、埼玉大学で教えていた山口静一・名誉教授と及川茂・日本女子大教授の二人。1987年と翌年、オランダのライデン国立民族博物館、大英博物館、米国のメトロポリタン美術館などを巡り、1千5百点もの暁斎を確認したという。

暁斎と交友のあった外国人は、お雇い外国人のフェノロサ(米)、キヨソーネ(伊)といった美術関係者のほか、医師のベルツ(独)など30人近い。

当時の日本人では、山岡鉄舟と親しく、勝海舟や栗本鋤雲、成島柳北、さらに徳富蘆花らとの付き合いもあったという。

楠美さんは、これほど外国で認められているのに、日本での評価が低い理由について①どの流派にも属さず、余りにも多才で何でもこなす画域の広さ②持ち前のユーモアや自分のことより客のことを考えるサービス精神の過剰が不真面目と受け取られた③小心者で酒の上で行き過ぎがあり、一貫した思想を持ちあわせなかった・・・などを挙げた。

描くことが根っから好きで、「過ぎたるは及ばざるが如し」の感があるという。

その真価は、内外の美術館で開かれた展覧会のキャッチフレーズを見れば分かる。「幕末明治の天才絵師」「鬼才」のほか、大英博物館のジャパニーズ・ギャラリー(1993年)では、「Demon of painting」とずばり「画鬼」。京都国立博物館(08年)では「絵画の冒険者」、東京ステーションギャラリー(04年)では「なんでもこいッ展だィ!」、東京都板橋区立美術館(85年)では「矯激な個性の噴出」だった。

「酔うて候」「酔郷に遊ぶ」を売り物にした書画会の展覧会もあった。

記念館は、今回、資料の表紙から借用したこの「文読む美人図」(明治21年頃)を初め、ざっと3千2百点を所蔵。住居を改造しているので、手狭で、一度に展示できるのは40~50点。2か月毎にテーマを変える方式で展示している。

訪ねる際は、「河鍋暁斎記念美術館」のホームページがあるので、場所や展示品を確かめるのに便利。木曜日定休。