ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

皇女和宮降嫁の大行列 桶川市

2010年12月18日 18時43分57秒 | 近世



新聞で「皇女和宮降嫁150年記念前夜―切り絵とゆかりの品々でたどる旅」と題する展示が、桶川市の歴史民族史料館で開かれているのを知った。10年のことである。

出かけてみると、こんな大事(おおごと)だったのかと驚き、これまでの不明を恥じた。

桶川宿の当時の人口1444人、家数347軒、本陣1,脇本陣1,旅籠36の桶川宿に、朝廷と幕府の威信を賭けた総勢4万人とも伝えられる大行列が通過して一泊した。県内では本庄、熊谷宿に次ぐ宿で、桶川から戸田の渡しを越えて江戸・板橋宿を目指した。

日本橋から6番目の宿場で、当時の成年男子が一日に歩く平均的な距離10里(約40km)という立地の良さが、桶川宿がにぎわった理由だった。

仁孝天皇の第八皇女で孝明天皇の妹である和宮は、公武合体のかけ声の下、第14代将軍家茂に嫁ぐため京都から江戸に下った。1846年生まれだから下向の1861年から引くと、数えで16歳、満で15歳。今で言えば中学三年生の歳である。

江戸下向の際

 惜しまじな君と民とのためならば身は武蔵野の露と消ゆとも

と詠んだと言うのは有名な話だ。

一行の総数は、「京都方約1万、江戸方約1万5千、通し人足約4千、警護の各藩1万・・・」という記録が残っている。嫁入り道具は東海道経由の別便で一足先に送られていた。

まさに長蛇の列で、一つの宿を通りすぎるのに4日かかったという。50kmにもなり、先頭が桶川に着いたときには最後尾はまだ熊谷だったという記述も、最初は「誇張だろう」と思っていたのに、信じられるようになった。

この大行列は、中山道69次、いや江戸時代の5街道始まって以来の出来事だったと言われるゆえんである。

なぜ中山道が選ばれたのか。中山道は大きな川がなく川止めの心配がないため、「姫街道」と呼ばれたとおり、それまでも京都の姫君の幕府へのお輿(こし)入れには、利用されていた。

今度は初めての皇女なので、長い行列が旅人や外国人が多い東海道より往来の妨げにならないことに加えて、警備がしやすいのも大きな理由だった。尊皇攘夷派の和宮奪還などもうわさされたからだ。

ほかに、東海道には「薩埵(さった)峠」(静岡市)や、浜名湖の「今切(いまぎれ)の渡し」など、「さった=去った」「切れる」と、婚姻には縁起の悪い地名があったのも理由の一つとされる。

染めた撚糸(より糸)で飾った和宮を乗せた輿(こし)の前後に、警護の藩士を含めて総勢ざっと4万人。これが1861(文久元)年10月20日、京都を出発、約530kmの道のりを24泊25日の日程で、11月15日に江戸に入った。

桶川宿に泊まったのは11月13日。本陣到着は午後2時、出発は翌午前nえむ時。早暁の出で立ちである。こんなに早く起こされる和宮もさぞ眠たかったろう。これに先立ち、県内の中山道宿で最も大きかった本庄宿は11日、熊谷宿は12日の宿泊だった。和宮ももうクタクタだったに違いない。

ひたひたと津波のように近づいてくるこの大行列を前に、桶川宿は戦争のような騒ぎだった。次の板橋宿までの宿は小休止だけで、直行することになっていたからだ。桶川で全部の人馬の乗り換え、荷物の継ぎ送りをしなければならなかった。

このため板橋までの間の上尾、大宮、浦和、蕨宿の人足はすべて桶川に集められた。人足3万6450人、馬1799頭に上った。桶川宿では人馬を提供する義務のある助郷(すけごう)59村に112村が加えられ、飯能、所沢からも人足が徴発された。

人足とは馬や牛でさえ「頭」と数えられるのに、「人足」は、人間を「頭」ではなく、足を二本で一本と数える方法。人口の「口」や人手の「手」と並んで人を数える漢字の面白さである。

人馬だけではない。和宮の泊まる本陣はもちろん改装。普通の参勤交代では最大でも3千人ぐらいなので、その十倍を超す一行の夜具布団、膳や椀は他の宿場からその人数に見合うよう借用料を払って調達した。

宿泊当日には、旅籠はもちろん、商家、農家などすべての家が宿所として徴発された。

通行の前後の三日間は公用以外の通行禁止、通りに面する二階の窓は目張りして、上から見下ろしてはならない、道端で正座して迎える、寺などの鐘を鳴らすのも禁止――など細かいお触れが出た。

関係の村々や沿道の人々にとって、江戸時代を通じて最大の出来事で、その負担や苦労も最大だった。

桶川には本陣遺構(写真)がある。県内の中山道筋で残っている本物の本陣はここだけ。建坪207坪のうち、和宮が泊まった上段の間、次の間、湯殿、御用所(トイレ)が保存されている。(非公開)

上段の間では、壁に吊り具をつけ、ハンモックのように寝具を吊るして、下から槍などで襲撃されないようにしていたというから大変だ。

近くに観光協会の「中山道宿場館」がある。当時の宿場をしのぶ資料がいろいろ展示されていて、その全貌が分かる。興味があるなら訪ねるといい。館員も親切で面白い。

この歴史的大イベントを記念して桶川市では、文化の日の桶川市民まつりで中山道で「皇女和宮行列」のパレードを再現する。和宮は16歳から18歳の女性を市民から公募する。