新東名高速道路を走り浜松いなさ ICを出て、遠州の古刹であり井伊 直虎が眠る寺『龍潭寺(りょうたんじ)』駐車場に 10時 15分到着。 そこは浜松市北区引佐町井伊谷(いいのや)地区であり、井伊家ゆかりの地を仲間の皆さんと共に直虎が生きた時代に思いを馳せながらノンビリ歩いて来ました。 激動の時代の中、幾多の苦難に翻弄されながらも、その名を全国に轟かせていった名門・井伊氏。 遠江(とおとうみ)600年、近江(おうみ)400年にわたる“なりたち”の一片を紐解く。
井伊氏が治めた井伊谷の田園風景の中から、井伊氏の初代「共保(ともやす)」公が寛弘 7年(1010)に誕生したと伝えられております。
その井戸は龍潭寺山門の南、田園に囲まれたのどかな場所にある。 白壁に囲まれた大きな石組みの井戸で、傍らには「井伊氏祖備中守 藤原 共保出生之井」の碑が建っている。
次に直虎の菩提寺「妙雲寺(旧:自耕庵)」を参拝。 11時半。
直虎の死後、自耕庵へ葬られたと伝わる。
このお寺には、ご住職がいないということで、檀家の皆さんが寺の管理に当たり交替でお寺の説明をして下さいました。
NHKの大河ドラマで取り上げられ、寺の整理をしていたら直虎の位牌や南渓和尚の肖像画など貴重な資料が発見され、後に自耕庵は直虎の院号「妙雲院殿月泉祐圓禅定尼」をもって妙雲寺と改められたそうです。
次に渭伊(いい)神社参拝
こちらは井戸や井水を祭祀対象とした神社で、井伊氏の発祥と共に氏神になった。
本殿背後の丘には古墳時代の巨石祭祀の遺跡、天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡があります。
次は直虎ゆかりの地おススメルートを歩き、井伊谷城跡(城山公園)に向かいました。
地域遺産センターを過ぎてから城址まで結構きつい登り坂で、降りてくる方から「あと少しですよ。」と励まされながら皆さん頑張りました。 13時到着。
城址はとても広く丘陵に築かれた井伊氏の城館跡。 土塁などの遺構が見学でき井伊谷を一望できます。
戻りながら「足切観音堂」を参拝。13時半。
南北朝時代、後醍醐天皇の皇子「宗良(むねなが)親王」が、戦のさなか足を負傷し落馬したが怪我はなく、代わりに護持仏の片足が鮮血に染まったという伝説が残り、親王の御念持仏、足切観音が祀られています。
次に立ち寄ったのが「井殿の塚」 13時35分。
こちらは天文 13年(1544)、家老の小野 道高の讒言(ざんげん)により謀反の疑いをかけられ、駿河で今川 義元に殺された直満(直親=亀之丞の父)と弟 直義の墓があります。
駐車場に戻る途中の「地域遺産センター」にも立ち寄り、亀之丞が吹いた『青葉の笛』のレプリカに触れたり、再現された音色に聞きほれました。 また、井伊 直虎の生涯や井伊谷周辺の戦国時代の様子をジオラマへのプロジェクションマッピングで物語風に紹介され、とても判り易く皆さん興味津々でした。
そこで井伊 直虎(次郎法師)が書かれた『龍潭寺寄進状』という書状を見ましたが、流石というか流れるような筆字に釘付けとなりました。 次郎法師の署名と黒印
最後に浜松市北区引佐町にある神秘の大鍾乳洞『竜ヶ岩洞(りゅうがしどう)』を見学して来ました。
東海地方最大規模の竜ヶ岩洞は、2憶 5千万年前の地層といわれる秩父古生層の石灰岩地帯にあり、
総延長約 1000mで、一般公開部分は 400mだそうです。
標高 359mの竜ヶ石山の南麓に開口されたものであります。
洞内温度は年間約 18度と平均しているので、この時期では洞内の方が快適で、探検気分で地底を歩いて来ました。
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