女は女である HDリマスター版紀伊國屋書店このアイテムの詳細を見る |
1961フランス/イタリア
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
原案:ジュヌヴィエーヴ・クリュニ
撮影:ラウール・クタール
音楽:ミシェル・ルグラン
出演:ジャン=ポール・ベルモンド、アンナ・カリーナ、ジャン=クロード・ブリアリ、マリー・デュボワ、ジャンヌ・モロー、カトリーヌ・ドモンジョ
これは笑える。
歌のないミュージカルを作ろうということらしいが、全編過剰なまでのハリウッドミュージカル的な音楽の使い方。
セリフや身ぶりにきっちりとシンクロした思わせぶりな音楽。
歌のシーンもあるんだけど、音楽は間奏だけ。歌の部分に伴奏がないという・・
内容もかなり他愛無く。
時間も90分に満たない。
戦略的にハリウッドの換骨奪胎を目論んだというよりは、ミュージカルを何度かカラーコピーしていくうちに妙に色彩だけは派手だがなんだか現実感がない模造品ができちゃった~みたいな結構イージーな感覚ではないでしょか。
長編3作目、幸せな時代のゴダールという感じです。
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アンジェラとエミールは愛しあっている夫婦だが、夫は子供が欲しくない。なんとしても子供がほしいアンジェラは「誰とでもいいから子供をつくっちゃうから」と、他の男(ベルモンドね)と関係したりする。でもそれは本当は・・・
・・・というのが筋といえば筋だけど、なんかいかがわしいカフェでストリップまがいの仕事をしているシーンとか、あれこれ遊びが挟まれるので、本筋などどうでもよさそうに見える。
「あたしは女じゃない。ただの女なの。」というセリフがそのままタイトルになっちゃっているところも、素朴な劇映画の枠組みっぽくておかしい。
ただこの、特定の/特別の存在であることを拒否し、ただの/複数の存在であることを描こうとするあたりは、のちのゴダール的オブセッションである「正しい映像などない。ただ複数の映像があるだけ。」という観念の最初の発露と見ることもできよう。スタートがまず「女」であるってところに、いかにもゴダールっぽいいかがわしい視点を感じちゃうのは?私だけ?
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無名時代のミシェル・ルグランを起用。
ヤレドのこともあるし、ゴダールはなぜか音楽家を発見する作家なのかも。
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