Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

リドリー・スコット「エイリアン」

2006-06-11 00:39:15 | cinema
エイリアン ディレクターズ・カット アルティメット・エディション

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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1979アメリカ
監督:リドリー・スコット
出演:トム・スケリット、シガーニー・ウィーヴァー、ジョン・ハート
ヤフェット・コットー、ハリー・ディーン・スタントン、ヴェロニカ・カートライト
イアン・ホルム

思えば落ち着いて観たことがなかったので、
腰を据えて鑑賞。

いいなあこれ。
ほとんど姿なき恐怖。
宇宙船の中になぜだか雨が降っていたり、
うすよごれた船内に服がだらんとかかっていたり、
猫も名演技で参加。
静寂とノイズと、時折盛り上がるいささか古風なジェリー・ゴールドスミスの音楽。
79年かあ。もう古典だな。

実は××××××だったアッシュは、いかにも異質で、反抗的。
その正体が暴かれた後にごぼごぼ声で語る生命についての恐るべき認識。
これも完全他者=エイリアンという、SFにおける普遍的なテーマを臭わせている。
理性も感情も良心も無縁な、生存だけを目的とした生命にであったとき、
人間はどう行動するのか。
いや、そうなったらそんなことを考えている場合じゃないんじゃないのか?
という、映画界からの一つの回答であるかも。

そういうテーマは実は小説向きなのだろう。
それどころじゃないぞっていう差迫り感は、なかなか小説では無理だと思う。
小説は小説の行き方というものがあって、映画は映画の道を行くんだな。
そんなことを、最近SFばっかし読んでいる自分は思ったのだった。

とはいいながら、冒頭、無人で薄暗い船内で、システムだけが目覚め、
ディスプレイをちらつかせ、そして乗組員をゆっくりと起こしにかかる、
このシークエンスはまさにレムの「砂漠の惑星」を思わせる。
おお、小説もなかなかやるじゃないですか。

しかしな~人間て無力だよなあいざとなると。
弱いし。
リプリーはなんとかとっさの知恵を絞って助かるわけだけど、
爆破装置のオン/オフでばたばたしたり、猫を助けに行ったり、
頭よすぎたり、運が良すぎたりしないあたふた加減がいい感じだった。
まあ結局はとっさの判断力があって、かつすごくラッキーなわけだけど・・・

でも彼女は、続編でまたあいつに出会うわけで、そう考えると
ひとりの人間の運命として総体ではかなりアンラッキーかな。

というわけで、さすが第1作の貫禄を味わった次第で・・

**

そうそう、スタニスラフ・レム「砂漠の惑星」復刊ですね。
皆さん買いましょう。(ここで^^;)
砂漠の惑星

早川書房

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2 コメント

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このシリーズはもう... (st/ST)
2006-06-11 03:14:24
1作目が最高なのは当然としても

賛否両論な2~4のその続編たち、

そして御楽に徹した最新のvs対決モノまで

買ってしまっている私なのでした~。

(劇場にもその都度行ってるし...。)



因みに私見では「3」は

長いディレクターズ・カットの方が描写が丁寧で良かったです。

(厳密には監督公認のディレクターズ・カットでは

 ないかもしれませんが...。)

「1」のディレクターズ・カットはサービスって感じですが...。

(船長の最後は当時のノベライズにも描写があったので有名ですが、

 水が滴る所のエイリアンの追加カットは

 サービスっぽいですね。

 コメンタリーで「パリ・テキサス」前の時期の

 ハリー・ディーン・スタントンが殺される直前の自分のアップが

 見事で感動したと言っているのが微笑ましいです。)



音楽は一部ゴールドスミスの意志が活かされてない所があって

酸の血が落ちていく所はゴールドスミスの過去のサントラから、

エンディングはオリジナルからクラシックに

監督によって差し替えられてしまっております。

ゴールドスミス自身のエンディング曲は後に録音/発表されてますが

冒頭でも聞こえる時の経過を暗示させる針の音を模したような

上下音の繰り返しが強調されていて

もし使用されていたら

映画でのハッピー・エンド風と異なって聞こえて

宇宙の孤独や深淵さを感じさせてくれたのではないかと思います。



これは、結局、

映画音楽家に曲を依頼した時に既に

監督によって代わりの音楽が入っているという、

音楽家によっては悪夢ともいえるシステムの為せる業らしいですね。

(「スターウォーズ」の代用音楽が「惑星」だったのは有名だし

 黒澤明も代用音楽使ってた形跡があります。)

「エイリアン」の時はゴールドスミスの過去のサントラ音源を

入れていたという、気を利かせたようで

作曲家にとってはと~ってもやりにくい状況だったようです。



そしてこの2人の仲は

「レジェンド」のアメリカ公開版で

監督がプロデューサーにそそのかされて(苦笑)

タンジェリン・ドリームやジョン・アンダーソンや

ブライアン・フェリーに音楽を差し替えたことで

決裂してしまいました。



ゴールドスミスの晩年には

DVDの「レジェンド」のディレクターズ・カットや

「エイリアン」DVDコレクションの特典映像等もあって

仲直りしたようですが...。

せめてもう1度組んで欲しかった2人であります(タメイキ)。



その後のスコットと良く組んでいるハンス・ジマーも今や大家ですが、

ちょっとベタな曲調なので...。

(でもってジマーとゴールドスミスが仲悪かったという話...。)
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ども (manimani)
2006-06-12 13:01:20
☆st/STさま☆

いつもながら博識なコメントありがとうございます。

エイリアン2はTVにて何度か観ました。3,4は未見です。4はジャン=ピエール・ジュネ監督ということなので、観てみようかなと思います。

っつーか、いま嗜好が娯楽系に走っているので、このさいエイリアン祭りといこうかなと思っています。

しかし1作目公開から20年以上も経って映画祭ってのもなんですねえ(笑)



エイリアンでのオリジナルスコアの使い方は、ところどころ強引なフェードアウトがあったりして、ちょっとぎくしゃくした感じだなあと思っておりました。代用音楽のあるところに曲を付けるのは、昔芝居でもやったことがありますが、なかなか難しいですね。



というわけで、仕事中なのでこの辺で(^^;)
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