ボヴァリー夫人SPASI I SOKHRANI
1989/2009ロシア
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
原作:ギュスターヴ・フローベール
脚本:ユーリー・アラボフ
出演:セシル・ゼルヴダキ、ロベルト・ヴァープ、アレクサンドル・チェレドニク、ヴィアチェスラフ・ロガヴォイ
圧倒的な風景の力。それに尽きた。
それは風光明媚というのとはまったく違う。人のドラマを描くのに、人が置かれる場所の質感:視覚だけでなく五感に訴える質感に注力すること。そのことによる圧倒的な物語の質感。ソクーロフによる映画化になにがしか特徴を見出すとしたら、この説話をはみ出した力の定着にあるだろう。
ソクーロフ作品を多く観てはいないのだが、そのいずれにも地の魔力が備わっていたと思う。最近作である『チェチェンへ アレクサンドラの旅』においても、アレクサンドラの行く道は概して土や砂にまみれ、それはまた戦場の事実であるとともに、そういう質感がよく伝わるようなほとんどセピアモノクロに近い画質が選ばれていたのもまた作為的事実である。ヒトラーの幻想的とも言える別荘を描いた『モレク神』でも、青と緑と灰色を基調とした山地の風景を霞がかった画面は室内にまで侵食していたはずだ。枯れ木と土で囲まれた寒々しい屋敷が描かれていたのはレーニンの晩年を扱った『牡牛座』だった。
なかでもとりわけ印象深いのは、舞台を中央アジアに置いた『日陽はしづかに発酵し…』の荒涼たる砂の丘と盆地だ。そこでは人物たちが置かれる不可解な世界のありようは、一歩外に出るとどこまでも人に厳しい環境の抗いがたい閉塞感と質感がよく表していたと思うのだ。
『ボヴァリー夫人』はその舞台をカフカスに移されて撮影されたという話だが、そこには『日陽~』で働いたと同じ環境の質感の選択という意図が間違いなく働き、そしてまた同様の抗いがたさの定着に成功しただろう。
この質感の中では物事は洗練された流れをどこまでも拒否し、文字通り五月蝿いハエのつきまとうなか、どこまでも淀み、焦点を失い、拡散し、埋没する。こうした大きな力学のなかでの人間の避け難きありようがソクーロフ的ボヴァリズムなのである。
**
ある種の音楽を聴くとき、直接関係ない光や風景が脳裏に浮かぶことがある。ある種の絵画はまた、脈絡のない、しかし特定の音響を呼び起こすことがある。小説もしかり。映画はどうだろうか。あまり映画でそういう体験をしたことがない。映像や音に密接に関連する触覚が刺激されるということはしばしばあるが。
ソクーロフの映画はそういう点では、その場にありうべからざる湿度や風圧をむんむんと醸し出す珍しい映画なのかもしれない。
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↑なにとぞぼちっとオネガイします。
1989/2009ロシア
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
原作:ギュスターヴ・フローベール
脚本:ユーリー・アラボフ
出演:セシル・ゼルヴダキ、ロベルト・ヴァープ、アレクサンドル・チェレドニク、ヴィアチェスラフ・ロガヴォイ
圧倒的な風景の力。それに尽きた。
それは風光明媚というのとはまったく違う。人のドラマを描くのに、人が置かれる場所の質感:視覚だけでなく五感に訴える質感に注力すること。そのことによる圧倒的な物語の質感。ソクーロフによる映画化になにがしか特徴を見出すとしたら、この説話をはみ出した力の定着にあるだろう。
ソクーロフ作品を多く観てはいないのだが、そのいずれにも地の魔力が備わっていたと思う。最近作である『チェチェンへ アレクサンドラの旅』においても、アレクサンドラの行く道は概して土や砂にまみれ、それはまた戦場の事実であるとともに、そういう質感がよく伝わるようなほとんどセピアモノクロに近い画質が選ばれていたのもまた作為的事実である。ヒトラーの幻想的とも言える別荘を描いた『モレク神』でも、青と緑と灰色を基調とした山地の風景を霞がかった画面は室内にまで侵食していたはずだ。枯れ木と土で囲まれた寒々しい屋敷が描かれていたのはレーニンの晩年を扱った『牡牛座』だった。
なかでもとりわけ印象深いのは、舞台を中央アジアに置いた『日陽はしづかに発酵し…』の荒涼たる砂の丘と盆地だ。そこでは人物たちが置かれる不可解な世界のありようは、一歩外に出るとどこまでも人に厳しい環境の抗いがたい閉塞感と質感がよく表していたと思うのだ。
『ボヴァリー夫人』はその舞台をカフカスに移されて撮影されたという話だが、そこには『日陽~』で働いたと同じ環境の質感の選択という意図が間違いなく働き、そしてまた同様の抗いがたさの定着に成功しただろう。
この質感の中では物事は洗練された流れをどこまでも拒否し、文字通り五月蝿いハエのつきまとうなか、どこまでも淀み、焦点を失い、拡散し、埋没する。こうした大きな力学のなかでの人間の避け難きありようがソクーロフ的ボヴァリズムなのである。
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ある種の音楽を聴くとき、直接関係ない光や風景が脳裏に浮かぶことがある。ある種の絵画はまた、脈絡のない、しかし特定の音響を呼び起こすことがある。小説もしかり。映画はどうだろうか。あまり映画でそういう体験をしたことがない。映像や音に密接に関連する触覚が刺激されるということはしばしばあるが。
ソクーロフの映画はそういう点では、その場にありうべからざる湿度や風圧をむんむんと醸し出す珍しい映画なのかもしれない。
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いやいや、変な映画でしたが、魅惑的でしたねー。
高鼾の人や途中退場者もいましたけれど。
本当に、湿度や風圧が感じられますよね。
地の魔力も感じます。
ディオールの洗練されたドレスが土とマッチングしちゃうってのがたまりませぬ。
あそこでパンフなんか買ってないでがっつりかえるサンを拉致すべきでしたね~^^;
というわけで、ワタシももしかしたら鼾組だったりしてちょっと心配。
衣装もなかなかでしたよね。クレジットにはディオールって入ってないらしい?(とどこかに書いてあったような・・)
こちらにはTB反映されないようです。
当方はmacでsafariとfirefoxでしか開けない環境のせいかも知れません。
<圧倒的な風景の力。それに尽きた...
は同感ですね。映し出されるエマの姿が絵画のようにも見えました。
それほど観ているわけではないのですが、ソクーロフってこんな映画も作るんだと感じましたね。
コメントありがとうございます~
そちらにもコメいたしましたが
ウチもmacでfirefoxなのですよ^^
いっしょですね~
ソクーロフはDVDレンタルあるのかな~?「太陽」はありますね。観る機会の少ない作家なので残念です。