Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「血を吸うカメラ」マイケル・パウエル

2017-05-09 02:29:58 | cinema
血を吸うカメラ [Blu-ray]
クリエーター情報なし
KADOKAWA / 角川書店


血を吸うカメラPEEPING TOM
1960イギリス
監督:マイケル・パウエル
脚本:レオ・マークス
出演:カールハインツ・ベーム、モイラ・シアラー、アンナ・マッセイ 他


これは名作でした。

「見る」ことによる意識や状況の変容を中心主題としていて、
主人公マークの、病的な8mm?16mm?カメラでの窃視、
そのフィルムを現像したものの私的上映、
ヘレンがマークの幼少期のフィルムを見ること、
決定的なあのシーンのフィルムを見ること、などなど、
「見る」描写を様々に連ねていくことで、状況は動いていく。

同時に、彼らが何を見たのかを我々観客に「見せる」かどうかは、
周到にコントロールされている。
この映画のクライマックスと言える、ヘレンが真相を知るシーンで顕著だが、
ヘレンが何を見ているのかは画面には一切出さず、
しかしそこに映っているはずの映像がどのようなものであるかは、
すでに我々観客には情報が与えられている。
その上で、映像を見ているヘレンの表情の変化によって、
我々観客は彼女が見ているであろうシーンをまざまざと想像することができる。

この格好良さですよ。
見せないことによって、ありありと想像させる、この格好良さ。

名作ですな。


主人公マークがなぜこのような性癖を持つに至ったか、についてもよく設計されている。
父が撮ったという幼少期の禍々しいフィルムが全てを無言で(無声なので)表現している。
すごい。

父が残した著作の扱いも密かに謎めいている。
書棚になぜかカラフルな背表紙で並んでいて
マークは忌みながらも大切にしている感ありで。


そのほかにも、これだけ「見る」ことを巡って動くなか、
盲目のスティーブン夫人の「見破り」を配置してみたり、
マークの職業である映画カメラマンの仕事風景を盛り込んだり(これが面白いw)、
冒頭からPOV的な手法で視点を多層化してみたり、
撮影シーンとそのフィルムを見るシーンでシークエンスを再帰してみたり、
くしゃみの止まらない精神科医が現れたり、
ヴィヴィアン(モイラ・シアラ!)のダンス披露があったり、
やたらノリの軽い警官がいたり、
取り調べの間中警察の人がマークのカメラを弄り回してマークが冷汗をかくとか、
ヘレンの童話?出版にマークが写真(「顔」!)を提供しようと盛り上がる(がそれは達成されない)、
などと、至る所に面白い仕掛けが施されている。

もう名作です。

最後にマークは終焉の儀式として、自分を「見られる」側に位置づける。
これが死を意味することは、彼の中では必然で、それは全編を通して描かれているので、
我々にもその儀式の意味が明確なのもよく考えられているよね。


****

◯という大名作を撮ったパウエルですが、
これの興行的失敗でとうとう映画作家のキャリアを絶たれてしまったという話です。
興行というのは恐ろしい。

◯パウエルらしく色彩が豊かで良いですね。

◯ヒッチコックの影響がありそうな気配満々
具体的な参照項は別途考える(多分)

◯個人的にはポランスキー『ローズマリーの赤ちゃん』を想起。
見せないことで表現するあのシーンの1点の類似のみで。

◯音楽が非常にカッコ良い。

◯主演のベームさんはファスビンダーの幾つかの作品でおなじみ。
というか観てる時はわからなかったが^^;
思えばあの『マルタ』のヤバい旦那じゃないか。。。

ちなみに本作でのクレジットはCarl Boehm
そんで、カールハインツは指揮者カールベームの息子とIMDbに書いてある。
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