Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「ジプシーのとき」エミール・クストリッツァ

2016-01-25 16:00:07 | cinema
ジプシーのときDom za vešanje
イギリス/イタリア/ユーゴスラビア
監督:エミール・クストリッツァ
脚本:エミール・クストリッツァ、ゴルダン・ミヒッチ
音楽:ゴラン・ブレゴヴィッチ
出演:ダヴォール・ドゥイモヴィッチ、ボラ・トドロヴィッチ、リュビシャ・アジョヴィッチ 他


念願叶いついに観ることが出来。

暗い映画だよと聞いていたのですが確かに暗く、しかし劇中のセリフにあるとおり、人生は蜃気楼だという諦念に似たはかないものへの愛情に溢れた作品でした。

彼は運命の前になす術もなく心を捻じ曲げていき、最愛の女性の言葉すら信じないようになりますが、大きな代償を払い、自分の義務を知り、それをなんとか全うする。

これが感動ぜずにおられましょうか(*_*)

しかし一方では自分を捻じ曲げた運命への復讐心を抑えることはできなかった。これは彼の弱さでしょうが、しかし彼は真の強さを育む機会はなかったのです。

これを悲しまずにおられましょうか(*_*)

人生は蜃気楼。翻弄されながらも自分に残るまっすぐな気持ちに動かされしかし迷いながらいつの間にか人生は終わるのです。

クストリッツァがバルカンの非常にローカルな作家であったことが、逆にどの文化でも語れるような普遍的な作品を残した、そのことがよくわかる映画でした。
クストリッツァはこの後もっと大きな物語の中の変わらぬ人間の姿を、もっと軽妙なタッチを加えながら描いていくことになるのですが、そこには変わらずこの映画のエコーがあるように思えます。

****

「パパは出張中」でパルムドールのあと4年を置いての本作。ローカル色豊かな前作に比べ、後におなじみとなる祝祭的なドタバタとドラマの融合の要素が出てきたようである。

音楽はゴラン・ブレゴヴィッチ。「アンダーグラウンド」までクストリッツァ世界を担う音楽を書く。本作でも哀愁豊かなロマ音楽を聴かせる。おそらくは音楽は登場人物が奏でる形でしか登場しなかったのではないか?どうだったかな?
ラストの祝宴での音楽は演奏者は映らなかったと思うが、まあ現場で演奏してるよね。

動物使いクストリッツァは早くもここから手腕を発揮している。あの七面鳥は人間語がわかるのかいな。。。
優れた監督は優れた動物使いである、という命題が持論ですがw他にはジャック・タチかな。

あと子供が名演技。出てくる子みんながみんな素晴らしい。筆頭には妹くんを挙げましょう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« David Bowie - Ashes To Ashe... | トップ | rainydays-Live20160210 »

コメントを投稿