Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「ヒア&ゼア・こことよそ」ゴダール+ミエヴィル

2007-06-30 17:50:54 | cinema
ヒア&ゼア・こことよそ〈期間限定〉

ハピネット

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ici et ailleurs
1974フランス(74、76説あり)
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール、アンヌ=マリー・ミエヴィル
編集:アンヌ=マリー・ミエヴィル



とても刺激的でした。
二度観た。


ゴダールは1970年の2月から6月に、パレスチナ革命中央委員会の依頼を受け(というよりなかばゴダールとゴランのジガ・ヴェルトフ集団側から熱心にはたらきかけた企画だったようであるが)ヨルダン・レバノン・パレスチナに赴き、パレスチナ解放戦線の集会、フェダイーンの訓練、密談、教育などの様子をカメラに納める。
そのフィルムは「パレスチナ解放運動の思想と実践の方法」のフィルムとして、「勝利まで」というタイトルのジガ・ヴェルトフ集団名義の作品に結実するはずだった。

が、様々な理由でフィルムは放置される。
撮影直後の70年9月、ヨルダンのフセイン国王は全土に戒厳令を敷きPLOに宣戦布告し(「黒い9月」)、これにともなう内戦で、フィルムの出演者の大半も殺害されてしまう。
72年には有名なミュンヘン事件が起こる。
一方で71年にはゴダール自身が、バイク事故で負傷し2年にわたる治療に入る。また同年にクランクインした「万事快調」が72年に公開されるが不評に終わり、ゴランとの共同作業であったジガ・ヴェルトフ集団も関係を解消する。

フィルムが日の目を見るのは74年のことである。フィルムは、ゴダールと「万事快調」でスチール写真担当だったアンヌ=マリー・ミエヴィルにより編集され74年に「こことよそ」のタイトルで発表される。
フィルムは、当初の構想とは大きく異なり、パレスチナの映像に、フランスの家族の日常、ソビエト革命、ナチス、人民戦線、強制収容所などの映像をモンタージュするとともに、フィルム自体あるいは映画という制度への批評的考察を加えた、重層的で緻密な作品となっている。

****

フィルムが放置されたこととその理由は、本作中で端的に述べられる。それは「編集のしかたがわからなかった」からである。「思想と実践」の表現とはなにか。その探求の痕跡がこの作品であるだろう。

以下思い付くままにメモる。

●ひとつは、歴史的参照の導入。
1917年の映像、ヒトラーの映像、1935年の人民戦線の映像、フルシチョフ/ブレジネフの映像。強制収容所の映像。1968年5月パリの映像。
パレスチナの映像に併置して様々な歴史的映像を召喚してみせる。
そしてそうしたパレスチナ紛争の根底にある歴史的地層への参照を、映画的に実践すること。普通に(時間的に)モンタージュする、画面を半分に仕切って併置する、TVモニターを複数並べて併置する、スライドプロジェクターを3代並べてみる、などなど。
こうした背景への言及なしにパレスチナの映像も「ここ」の映像も「正しい映像」ではありえないということなのだろう。

しかしこの歴史も偏った歴史、ヨーロッパの、どちらかというと西欧の、あるいはフランスの歴史にすぎない。どこまでも「ここ」からのパースペクティヴでしか語り得ないゴダールの立場は、不遜とも誠実ともいえるものだろう。「正しい映像」などないのだ(?)。


●また、あるシークエンスでは、映画のしくみそのものの不可能性に直面してみせる。現実が同時並行的な空間と時間であるのに対し、映画は映像を並べたとおりに順次見るほかない。空間を時間に押し込めてしまう。このことを、5つのテーマの写真をそれぞれもった5人の人物が順番にカメラの前に立ち、滑稽な身振りで入れ替わり撮影されるという、自嘲的な戯画で表す。(笑うとこ)
こんな滑稽な映画に「正しい映像」を期待してよいのか?


●終盤印象的なのは、パレスチナの映像に加えられるゴダールの解説が、ミエヴィルの声でことごとく批判されるくだり。
ゴダールの解説が状況をもっともらしく観念的に描写する声であるのに対し、ミエヴィルのそれは、映像の背景や隠された演出の存在を示すことが重要であると諭す声である。パレスチナの映像を編集する方法を見いだせなかったのは、どのような形態であれ、それが観念の物語になってしまうことに気づいていたからなのだろうか。

****

この映画は「自分の映像」「自分自身の映像」「痕跡を残す映像」の探求、その可能性と不可能性の間に生起した映画として成立している

おかげで難解といえば難解だが、映像と言葉に無心についていくと、いちいち考えさせるアイテム続出で脳味噌完全燃焼状態となり、面白い。
ゴダールの特徴である、「映画史」にみられるような文字や音声による表象の重層化は、すでにこの時点から丹念に探究されていることがわかる。


最後にミエヴィルによるなぞめいた声で唐突にこの映画は終わる「他者とは「ここ」の「よそ」」であると。結局「痕跡を残す映像」は可能だったのか?それとも我々はどこまでいっても他者である「よそ」を発見し続けるばかりなのだろうか。
(なんちってな)

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電卓で意味ありげに1917+1935とか打ってみせるシーンで、キーにタッチすると銃声が聞こえる。
くだくだと書いちゃったけれど、私は、ほんとにどこまでがまじめなのかさっぱりわからないこういうところが実は好きでゴダールを観ているような気がする。

ナチスの強制収容所の隠語で、疲弊しきったユダヤ人を「ムスリム」と呼んだという逸話は、もうすでにこのフィルムで触れられていた。
のちにいくつかの作品で繰り返しゴダールが取り上げる逸話である。
これは確かにパレスチナの今と繋がっていることかも知れない。


↓ゴダールのジガ・ヴェルトフ時代についてはこの本が面白いのだ。
映画と表象不可能性

産業図書

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