Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「出発」イエジー・スコリモフスキ

2016-10-06 00:22:30 | cinema
出発 [DVD]
クリエーター情報なし
紀伊國屋書店


もう観る前から気に入ることが明らかな映画というのはあるよなあ。
この『出発』もそれ。

だからというわけではないけどずっと積読(じゃない積視聴)していたのを、
先日の『イレブン・ミニッツ』観た勢いでようやく鑑賞。

**

ゴダール初期のような雰囲気はありつつも、それほどスタイリッシュなところはなく、
粗削りな印象なんだが、いや、よく考えると相当に様式美的なアプローチにあふれている。

美容院のシャンプー台のシンメトリックなところとか
路上で喧嘩するバックに能天気な車の広告があってときおり広告のアップが挟まれるとか
車で疾走するときのカメラの設置場所が妙に凝ってたり、
ガソリンタンクを坂道においていくところの上下の構図とか

魅力的な細部と動的な繋がりが映画の面白さだよなあと
改めて思わせる。

**

そういうワクワクする作りの中を所狭しと動き回るのが、
われらがジャン・ピエール・レオーなんだからつまらないはずがない。

レオーはここでもこの上なくレオー的。
サイレント期喜劇を思わせる彼の過剰な動きについては、
スコリモフスキがインタビューの中で、
レオーとはまったく言葉によるコミュニケーションができなかったので、スコリモフスキが演技をやって見せて、レオーがそれを模倣するというやり方となり、それが過剰な動作という結果になったのでは?というようなことを言っているが、
いや、レオーっていつもあんな調子じゃないかしら(笑)
デビュー作は子供だったしそうでもないけど、
あるいは『恋のエチュード』みたいな例外はあるかもしれないけど、
トリュフォーのドワネルもののひとつ『家庭』で、あからさまにジャック・タチの所作を真似ているレオーこそが
ワタシの知っているレオーなのだ。
そのレオーがまぎれもなくというか期待通りにいる『出発』がつまらないはずはない。

レオーらしさといえば、もちろんそういう喜劇的なふるまいの一方で
色恋に関しては積極的なくせに最後は臆病で不器用で情けないところも
しっかり「らしさ」を発揮しているところもすばらしいじゃないですか。

ガールフレンドと車のトランクに二人きりになっても彼からは触れようともしないし、
お金と車目当てに美容院マダムとうまくいきかけても、寸前で恐れをなして逃げてくるし(笑)
終盤でミシェルと泊まるホテルでのおどおどっぷりときた日にはもう(大笑)

そこんところは映画の主題の根幹でもあると思うので、
レオー実に適役ですよ。


****


あんまりネタバレするのもなんだけど、
ラスト近くの二つの「燃える」演出はさすがスコリモフスキという感じ。
ミシェルの少女時代の終わりを暗示する最初のフィルムの炎上と
それからマルクに訪れた転機を示す炎上と
二回出てくるところがすばらしいよね。


ミシェルをやったカトリーヌ=イザベル・デュポールは、ゴダール『男性・女性』でレオーと共演している。
DVD付属の冊子によると、彼女は『出発』出演後に映画の活動はやめて、現在は消息不明とのこと。
寂しいな。

あとそうそう、音楽はクシシュトフ・コメダ。音楽はすごく前面に出ている。
コメダ節炸裂の感あり。
冒頭と中盤に出てきて心をわしづかみにする挿入歌は、ものの本によるとスコリモフスキ作詞。
ポーランド語で書いてフランス語に翻訳してもらったそうな。
コメダが作曲したかどうかはわからないが、コメダ以外にすることもあまり考えられない。

コメダも若くして他界したので、そういう裏話を今聞けないのが残念よね。
DVDの冊子にはコメダの来歴がとても詳しく書かれているのが素晴らしい。



@自宅DVD



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