Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「動くな、死ね、甦れ!」ヴィターリ・カネフスキー

2009-12-02 21:32:44 | cinema
動くな、死ね、甦れ!ZAMRI, UMRI, VOSKRESNI!
1989ロシア
監督・脚本:ヴィターリ・カネフスキー
出演:パーヴェル・ナザーロフ、ディナーラ・ドルカーロワ、エレーナ・ポポワ他


もう一度観たい!
これが89年の映像だとは信じられない。
もうすでに50年くらいは映画史に存在していそうな。

それはモノクロであるとか、舞台が第二次大戦直後のソビエトであることとか、
そういうこととも関係しているだろうが、
そういうことのほかに、人生の黎明期にある少年ワレルカと少女ガリーヤとともに、
混乱した辺境の地の荒涼とした風景において、
殺伐たる人間関係のもとに、
初めて人生を=映画を発見しているかのような、
ものごとの原初の繊細な禍々しさをもっているからである。

******

冒頭人を食ったようなシークエンスが次回作「ひとりで生きる」と通じるようだった気がするのだが、残念ながら具体的に思い出せない。全体に記憶があいまいなのは、主としてワタシの記憶力の問題だが、この映画が明確に線形なストーリーをなすものでないせいもあるだろう。

貧しく不毛な環境のなかで成長する少年が学校から、社会(ささやかで閉塞した)から自然にこぼれ落ちてゆく瞬間を描いているのだが、エピソードはむしろ断片的で、いかにもやりきれない行軍演習や、収容所の日本人とのふれあい、学校の悪童との避けられない関わり、トイレでの破格ないたずら、流刑者少女の自暴自棄な性、家族との絶え間ない衝突など、様々な事柄が積み重なるようにつむがれる。

世界は大体においてこのように混沌のなかかろうじて暮らしているあるいは崩壊していく人間のものであり、日常とはカオスである。現実とはそういう側面のことなのだろうとこの映画は声高な主張抜きで語る。ディテールにこそ全体は宿っている。この作品の表現形式はカオスとディテールにより全体を現すという点で成功していて、映画をただ一つの表現作品としか観ない人、我々が現実を選ぶのではなく現実が我々を選ぶのだということを理解しない人、映画は何物かを与えてくれるものとしか認識しない人にはもはや向かないとしか言いようがない。

一方で、人物たちの旺盛な人間力にも驚く。教師たちに反抗する子供たちの非力なくせに恐れを知らない悪態。それに対する教師の(校長の)怒りの身振りの激しさ(本気で殴ってるよねあれ)。家族における愛憎ゆえの深い断絶。市場でお茶を売るような虫けら的生命力。そういう力は混沌の一因でもあるようだが、混沌のなかでこそ発揮されるものだという風にも思える。これもまたワタシの周りの世界には見当たらないものだ。

その不毛と旺盛さを生きるワレルカとガリーヤは、無邪気な生命力と屈折した内面を併せ持ったような存在だ。ワレルカは思うままに行動する無鉄砲な男子でどこか破滅的。ガリーヤはすでにして母性的なものを感じさせる包容力と賢さを持っている。はかない均衡のうえで成り立っている生活も喜びも悲しみも、彼らが少年少女期であるからこそのことだろうと思う。未来のことなど匂わせもしないこの映画に、未来の多難と閉塞がひしひしと漂ってくる。タルコフスキーやソクーロフの示したものとはまた違ったロシアの生命(と死)がここにある。

*****

印象的だったのは、守護天使たるガリーヤが、放下されていたワレルカのもとに奇跡のように現れるシーン(「走れ!殺される!」)でのワレルカの無邪気な喜びよう。それと、子豚を抱いてこれまた無邪気によろこぶワレルカ。単にすさんでいくだけの少年ではないところが印象に残った。
この豚さんも「ひとりで生きる」を観ているとまたこの世の残酷を現すものなのだけど。。

モノクロなのに色彩感豊かな印象があるのも不思議。というか映画体験ではよくあることで。これは記憶や感覚と色彩感との関係という不透明なよどみからなにがしかのものを掬い取る力が映画にはあるのだということだろう。次作『ひとりで生きる』はカラー作品なのにモノクロ感があふれる、という蛇足。これはソクーロフ映画の印象に似ている、という蛇足。

1990年カンヌ国際映画祭カメラドール受賞。




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2 コメント

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 (とらねこ)
2009-12-27 19:58:24
こんばんは!お返事がだいぶ遅くなってしまって、すいません。
何かと年末忙しくしてました。何とか仕事納めが終わりましたので、しばらくゆっくりできるかと思いますー。

冒頭の人を食ったようなシークエンスは、お茶売りの辺りでしょうか?
私は、初めてワレルカの家を映し出した時の斜めに構えたカメラで、うおおお~!と喜びました。
でも、ソクーロフ的というのはどの辺りでしょう?私はあまりソクーロフ的には感じなかったりして。
 (manimani)
2009-12-27 22:13:56
☆とらねこさま☆
いえいえ、お返事だなんて。ゆっくりあせらずそれぞれのペースで、が大人のネットライフですよ~~
仕事納めおつかれさまです。ワタシは28日まで仕事ですぅ

で、ソクーロフというのは、「ひとりで生きる」がカラーなのにモノクロ感あふれると言う点がソクーロフ的ということでして、カネフスキー作品は全体としては全然ソクーロフっぽくないですよね。
あ、でもどうかな、風景の荒々しさを撮るというところとかは通じるのかも。。

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