Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「Arc アーク」石川慶

2021-07-09 01:50:00 | cinema
ケン・リュウ原作だし、
芳根京子だし。

ということで、観に行きましたが、
監督もウッチ映画大学で学んだ人ということで、
興味があったが作品を見たことはなかったので、
これも動機で(若干後付け的な)

前半はなんとなく内容も演出も
座りの悪い軽い感じがしたが、
中盤の反転を経て後半は
そのチープな前半の記憶を含めて
時の流れとともにしっかり馴染ませてくる。

時間とともに深く変わっていく体験を作り出しているのはとても良い。
それこそが映画が備えている可能性の一つであって、
かつこの映画の(原作の)テーマでもあるから。

生と死のことについて
そのケースワーク的な(というか哲学的な)ことが
ここで明示されるテーマであって
それはそれで深いんだけど、
そのほかにもさまざまな視点が散りばめられていて、
映画も我々も全部を背負いきれない。

永遠に生きる(かもしれない)層と
普通に死ぬであろう層に
ある日突然ワシらは分断される。
分断をもたらした者は
残された者を住まわせるユートピアを作り
施しを与え、
そこに訪れる者に対して親身になって
「何故手術を受けなかったのか」を問う。
答える方はまた自らを慰めるような優しさでその理由を話す。

永遠に生きる層にとっては
死(と老い)は選択するものになったのだろうか。
充実にしろ絶望にしろ
老いる理由を得た者は消え去り
永遠の未来には理由のないものだけが残っていく。

万年生きるという亀の葬式
モビールをカラカラ揺らす存在の印
技術的にも存在論的にも意味合いが不明瞭になっていくフィルムカメラ
自分の手で修理する船
愛するものの死
老いも若きもいる家族の風景

今の日本らしく
謎のほとんどない映画ではあるものの
世界の広さへ向かって滲み出る澱みは
沢山ある。

***

原作を読んだはずだが
まーったく覚えていないので
また読んでみよう。
読んだら追加するかも。
しないかも。

しかしワタシ脳内では
後半は芳根京子は黒木瞳にしか見えず
どう見ても黒木瞳で
しまいには黒木瞳がやっているものだとしてみていた。。。

https://youtube.com/watch?v=l2VnazqMA9E

@ユナイテッドシネマ豊洲



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