Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

ベートーヴェン交響曲第9番 ラトル+ウィーンフィル

2010-10-09 00:31:24 | music
ベートーヴェン:交響曲第9番(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)
ラトル(サイモン),ストレイト(カート),ハンプソン(トーマス),ボニー(バーバラ),レンメルト(ビルギット),バーミンガム市交響楽団合唱団
EMIミュージックジャパン


ベートーヴェン交響曲第9番 ラトル+ウィーンフィル

2002年の録音で、ラトルとウィーンフィルで行ったベートーヴェン連続演奏会の中のライブ録音。
合唱はバーミンガム市交響楽団合唱団。
全集として出ていたものの分売だが、ラトルのEMI専属契約30年記念キャンペーン盤のひとつとして今回はHQCDで発売されている。

ワタシは今回初めてこれを聴いたんだけれども、なかなか面白かった。
最近のブラームス全集の印象から、わりとスコアに忠実に行く中で面白さを見出すタイプの指揮者だと思っていたのだが、この第9では結構スコアから逸脱した揺れやダイナミクスを随所で見せている。
もちろんそのことは別に珍しくないというか普通というか、むしろ往年の巨匠の自由闊達さはあきれるほどであるわけだけど、このラトルの演奏はそういう闊達な先達の演奏のあとでも、また新鮮な面白さを見出す余地があるのだなあと思わせるものがある。

オケは全体的にきびきびした印象でスタッカートをきっちり合わせていく感じ。
それでもなんというか独特の情念のようなものは失わず、むしろきびきびの内側にどろどろを忍び込ませることで形式と激情が同居することによる一種の奇形性を醸し出している。
このなんだか危ない感じは、ベートーヴェンを何度か聴くとなんとなくわかってくる座りの悪さをよくつかんでいて、そういう点では曲とよく向き合った演奏なんだろうなあ。

合唱とソリストについては、ワイルド!という感じ。
解説によると、歌詞との関係を重視して音楽表現を作っていったらしいが、その関係はとてもストレートな印象。
言葉が高揚してくると声も行儀のよさを捨てた高ぶりを見せ、時には一発叫ぶような表現もあれば、ピアニッシモでも沈む印象はなく情念を押し出してくる。
ソリストも冒頭バスのレシタティーヴォからしてかなり放埓(笑)で、音程も不思議な箇所がなくもない。

このへんは好みが分かれるところなんだろうけど、ワタシ的には、歌う表現としてはむしろ自然なアプローチだと思う。
歌詞を眺めつついっしょに気持ちを入れて聴くとなかなかにもりあがって楽しいのよね。
行儀よく技を聴かせて崇高な芸術をやっている風な歌よりはワタシは身近に感じられて面白い。
(崇高ゲイジュツな態度もそれはそれでまた好きだったりもするんだけどさw)

フルトヴェングラーみたいな破壊的超越の迫力とはまるで違ったヤバさを持った盤だね。
特に第4楽章の持つ特異性を直感的につかむという点では、やはり現代の演奏の代表であるだろうインマゼールの全集盤よりも、ラトルのほうが成功しているかもしれない。

一方で3楽章はなんだかあまりぱっとしない気もしないでもない。ストレートすぎて譜面が見えてきてしまうのは、、ワタシの病気かも??

ベーレンライター版、バイオリン対向配置、二管編成、だそうですよ。

*************

諸事情により(ってその事情は前に書いちゃってますけどもw)ワタシはいま気持ちが第9漬けになっており、他の曲を聴いても心ここにあらずという極端な状況にあるので、すなおに毎晩毎晩第9を聴いているのです。

粒オケのときは飽きもせずブラームスを聴いていたし、なんかこうまっしぐらというか余裕がないというかね~w



コメント
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