1962/63(フランス・イタリア)
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
脚本:ロベルト・ロッセリーニ、ジャン・グリュオー
久々に映画モード。
実は同じくゴダールの「アルファヴィル」と自主的二本立てで観たんだけれど、
そっちは不覚にもすやすや寝てしまった。
「カラビニエ」は2度目なんだけど、前回はさっぱりわからず、今回は結構楽しめた。
この反応の違いってなんだろう。
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「ユリシーズ」「ミケランジェロ」という名の若者が王様に徴兵され、
「クレオパトラ」「ヴィーナス」という名の女性を残し、戦争に出かける。
戦闘・殺戮・凌辱・略奪の限りが、二人の女への手紙という形で次々に報告される。
随所で挟まれる戦争の実写映像と、ゴダールの手書き文字。
それに添えられる、無数のいかにも嘘くさい戦争寸劇。
ユリシーズとミケランジェロは負傷しつつ凱旋する。
戦果品として持ち帰ったのは、各国の名所や遺跡、交通機関等を写した万物の絵葉書。
戦争終結後にその実物がもらえると保証された二人。
戦争終結の合図とともに、王様の元へ向かおうとする。
しかしどうやら敗戦の模様。
市街戦や略奪の無秩序のなか、ふたりは・・・
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戦争の寓話集というべき作品だろう。ブレヒト的リアリズムのにおいがする。
真の事物を描くのではなくて、事物が真にどのようであるかを描く。
そういう意志にもとづいて、あくまでコミカルかつにチープに戦争を描写し、
死体の映像にダンスミュージックがかぶるなどの異化効果も多用される。
起伏なく、延々と連なる細切れのエピソード。
物語の構成における実験に1作ごとに挑戦している60年代のゴダールらしい作品だ。
ところで
興味深かったのは、占領地で初めてミケランジェロが映画を観る、というシークエンス。
列車の到着シーンで迫り来る列車を恐れ顔を覆う彼。
(もちろんリュミエール兄弟への言及だね)
画面の左端に消えていった裸の女性を覗こうと客席の右側へ回り込み、
ついにはスクリーンに触り、スクリーンを破ってしまう彼
これは映画黎明期のわれわれ文明人の振る舞いをなぞったものだ。
人類が映画に初めて出会った体験と、
主人公が戦争において初めて映画と出会ったという体験が重ね合わせてあるところに、
のちに「映画史」を撮るゴダールの独特の「史観」が感じられる。
と同時に、主人公が、実在しない女性を求めてスクリーンをなで回すシーンって、
「ロゴパグ」でロッセリーニが使った手法じゃないですか。
このシーンきっとロッセリーニも一枚かんでいるに違いない。
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というわけでなかなか面白かった。
「アルファヴィル」も再挑戦しよう。
冒頭ナレーションの声にはしびれたし・・