安倍首相の演説は、「多言にして意味不明」で、とても聴いていられず、疲れてしまう

2006年12月21日 12時12分56秒 | 政治
◆名女優・岸田今日子さんが亡くなった。憎まれっ子、世に憚ると言われながら稀代のマルチ人間・青島幸男さんもこの世を去った。俳優・丹波哲郎さんは、元々、冥界と行き来していたような奇人だったので、死去の報道にも大した驚きはなかったけれど、岸田さんが突然冥界入りされたというニュースには、ビックリさせられた。意地悪ばあさんの青島さんは、しばらくテレビ画面から消えていただけに、久方ぶりに消息に接した感じだった。
 この世の中から、個性の強い、しかも面白い人物が去っていくのは、寂しい限りである。政界のお騒がせおじさん、小泉前首相が退陣して以来、政治が面白くなくなっているので、国民の政治離れが加速しつつある感が強いだけに、政界にしろ、芸能界にしろ、名優、名女優が桧舞台から姿を消すのは、残念至極である。
◆とくにいまの政界に限ってみれば、サラリーマン社会とあまり大差がなくなっている。そのなかでも、サラリーマン化に拍車をかけているのが、松下政経塾出身の政治家たちである。男女問わず、リクルートスーツを着たような政治家ばかりで、丸で個性というものがない。どこから切っても同じような顔つきの人間が出てくる。演説は、下手くそで、とても聴いていられるような代物ではない。ロボットにしゃべらせた方がまだましだろう。
 演説力というのは、民主主義社会では、必須条件である。聴衆をうならせる演説、引き込ませる演説、頭にくるような演説、それぞれが、国民・聴衆の気持ちを政治に向けて高ぶらせる。そしてそのエネルギーが、投票行動となって顕現するのである。
◆かつては、吃音を克服して名演説家になった田中角栄元首相、「金権政治の打破、政治倫理の確立」が口癖だった三木武夫元首相、「ホー、ホー」と鳴いていた福田赳夫元首相、「アー、ウー」と苦しそうに息をうならせていた大平正芳元首相、「わたくしが、リツコウホ(立候補)致しましたときは」と浪曲調で聞かせていた春日一幸元民社党委員長らの演説が、いまは懐かしい。いすれも声帯模写の名人・桜井長一郎さんの持ちネタだった。
ところが、いまは、コロッケにすら真似されるような政治家が見当たらず、ほぼ絶滅しかかっている。これでは、演説が衰退してしまうのは、当たり前である。
◆演説が下手なのは、松下政経塾出身の政治家に止まらず、最悪なのは、安倍首相の演説である。師匠の小泉前首相の真似もできず、どちらかと言えば、森喜朗元首相や青木幹雄参議院自民党会長ら「密室談合型」の政治家タイプの影響を強く受けた感の強い「ボソボソ」「コソコソ」バージョンに近いしゃべり方である。いかに熱弁をふるってみせても、「多言にして意味不明」なのである。何を言いたいのかさっぱり分からない。「言語明瞭、意味不明型」の竹下登元首相と、田中真紀子元外相から「多言にして空疎」と揶揄された羽田孜元首相を掛け合わせたような演説ぶり、説明ぶりなのである。
こうした演説力低下の政界にあって、民主党の渡部恒三最高顧問のいまや芸術的とも言える「ユーモア演説」が依然として精彩を放ち、「孤塁」を守っているのは、せめてもの救である。近い将来、「渡部恒三のユーモア演説集」と題して一冊の本にまとめさせてもらおうと密かに企画を練っているところである。お楽しみに!
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安倍首相が大手銀行からの政治献金辞退を指示したのは、当然のことで、国民のだれも感動しない

2006年12月20日 14時23分18秒 | 政治
◆安倍首相が、大手銀行からの政治献金を辞退するよう自民党執行部に指示したのは、大英断である。政党助成金を毎年数十億円も支給されながら、大企業が本来納税すべき巨額のおカネを自民党に献金するというのは、いわゆる「二重取り」を許しているようで、割り切れない気持ちを抱いている国民は、少なくないだろう。それも、政党に属さない政治家は、政党助成金の恩恵も受けず、そのうえ政治資金規正法によって企業献金も禁止されていることに不公平感も免れない。先の自民党造反組の帰党騒ぎの背景に、かかる事情が含まれていた。
◆しかし、残念ながら、安倍首相の今回の大英断は、暖簾に腕押しのような感が強い。一般国民はもとより、どこからも「感動した!」という感嘆の声は上がってきていない。というより、「当たり前だ」とシラケ鳥の鳴き声が喧しい。それほど大手銀行は、多くの国民から恨まれている。この恨みが、自民党に跳ね返り、いまや憎しみの感情に転化もしていることを安倍首相はじめ自民党執行部は、深刻に受け止めるべきである。
◆政治に疎い大多数の国民は、関心がないだろうが、現行の公職選挙法や政治資金規正法は、奇妙奇天烈な法律である。とりわけ政治資金規正法は、複雑怪奇でもある。これに輪をかけて政党助成法は、悪法の極みである。
◆日本は、自由と民主主義の国であるのに、政治家の活動は、がんじがらめにされている。それは、英国が百年前に腐敗防止法を制定して選挙違反、とくに買収を取り止るシンプルな体制を取り、比較的クリーンでカネのかからない選挙活動あるいは、政治活動を行えるようにしている。これに対して日本は、日常の政治活動はもとより、選挙活動も自由度が厳しく制限されている。民度の低さも加わり、民主主義も未だに成熟していない。
◆それはともあれ、政治資金規正法を紐解いてみるがよい。あまりにも複雑すぎて、すぐには頭に入りにくい。ましてや納税時期に確定申告する場合、政治家や「その他の政治団体」などに個人献金が「所得控除」されることについての国民の認識は極めて低いという現実がある。
◆参考までに「埼玉県選挙管理委員会」発行の「政党助成・政治資金規正法関係事務の手引」から政治資金に関わる図表を下のエントリーに掲載したので御覧あれ。
◆政治というのは、須らく、シンプルでなければ、多くの国民に理解されない。自由と民主主義は、「分かりやすく」あらねばならない。この意味で日本は、先進国に成長しているとはいえ、政治的には、劣等国であると厳しく自覚すべきである。



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政治資金に関する図表

2006年12月20日 14時00分09秒 | 政治
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安倍首相は、政府税調・本間正明会長を即時、クビにして国家最高指導者たる厳しい姿勢を示せ

2006年12月19日 13時40分43秒 | 政治
◆「孫子の兵法」の孫武は、統帥あるいは将帥に必要な条件について、「智・信・仁・勇・厳」の5つを挙げている。知恵、信頼、慈しみ、勇気、厳格な綱紀である。このなかで、とかく軽視され勝ちなのが、「厳格な綱紀」である。綱紀が緩むと組織は、だらけてくる。それゆえに、「信賞必罰」は、しっかりと行われなくてはならないのである。誉めるべきときは、誉める。綱紀を紊乱するようなことがあれば、厳しく罰する必要がある。
◆情実により、甘い態度を取っていると、指導者は、部下から侮られるようになる。そうなると、組織は、維持できなくなり、部下はだれも、指導者の命令を聞かなくなるのである。「泣いて馬蜀を斬る」という言葉があるように、バッサリと処分するときは、情実にとらわれることなく、示しをつける。そうすることにより、指導者への信頼感は強まる。これができない指導者には、だれも着いて行かず、命令も聞かなくなる。安倍首相は、まさにこのようなピンチに立たされている。背後にとりついている「悪霊」のような森喜朗元首相や青木幹雄参議院自民党会長の脅しには素直に聞くが、統帥・将帥としての基本原則を守らないという姿を国民にさらけ出すなら、指導者としての資質も資格もないと判定されるだろう。
◆安倍内閣の支持率が急落し続けている現在、安倍首相は、政府税制調査会の本間正明会長を思い切ってクビにするべきである。本間会長は、常勤の国家公務員でないのに国家公務員宿舎に愛人女性と棲むなどとは、何事か。身のほどを知れと言いたい。すでに官僚組織は、綱紀紊乱しているのに、それに輪をかけるようなことが許されるはずはない。
◆安倍首相は、妙な同情心や情実にとらわれてはならない。ましてや出処進退を本間会長に委ねるのではなく、自らの手で「斬首」するくらいの厳しい処断を即、行い、率先して「信賞必罰」の模範を示すべきである。もたついている暇はないのである。そうすれば、必ずや安倍内閣の支持率津は、にわかに反転、上昇し始めるだろう。「甘ちゃん」と言われなくする絶好のチャンスでもある。人間、とりわけ国家最高指導者は、優しいばかりが、能ではない。この際、厳しい姿勢を示せ。
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国連の理想化は危険であり、国民の多くは、「エコノミック・アニマル」と「一国平和主義」を望んでいる

2006年12月18日 16時36分44秒 | 政治
◆国連加盟50周年記念式典が、天皇・皇后両陛下ご臨席の下で行なわれた。大変おめでたいことではあるが、手離しに喜んでばかりではいられない。というのは、国連憲章に依然として「国連憲章」が残っているからである。死文化しているとはいえ、いつ何時、息を吹き返すかわからない。日本人の多くは、「平和認知症」(ボケは、差別用語だから平和ボケとは言えない)にドップリ漬かっているけれど、お人よしでいるのは、いい加減止めたほうがよい。国連は、国際国家でもなく、いまのところは、「烏合の衆」が勝手に覇権を貪るための格好の「隠れ蓑」になっている面がある。だから、国連をあまりにも理想化しすぎるのは、危険である。
◆巨額の拠出金を提供していながら、ほとんどの国から敬意を表されることもなく、むしろ侮られている。日本は、都合のよい財布ではない。安全保障理事会の常任理事国にわざわざ選ばれる必要はないけれど、手を挙げても、賛成してくれる国は少ない。期待もされず、推挙もされず、却って、警戒されるくらいなら、「無責任」な立場に甘んじている方が楽である。
◆この際、あえて言おう。国際紛争は、戦争好きなアメリカや中国、韓国に任せておけばよい。他国からいかに批判されようとも、日本人は、徹頭徹尾、「エコノミック・アニマル」を貫くべきである。試しに、国民に本音を聞いてみたらよい。日本国民の大半は、可愛い子供たちや孫たちを戦場に行かせたいとは思っていない。「一国平和主義」を望んでいるのである。軍事的には、日本は「孤立主義」を取るべきである。
◆教育基本法改正により「国を愛する態度」を明記、防衛庁を防衛省に昇格、国民投票法の制定(成立間近)と着実に憲法改正の外堀が埋められ、確実に「戦前体制」への「回帰」が進んでいる。国内での体制固めまではよいとしても、このエネルギーが外に向けられないように、「シビリアン・コントロール」の体制強化も行っていかなければ、「軍事クーデタ」を許すような「いつか来た道」を歩むことにもなりかねない。「軍人」というものは、「自己増殖」の習性があることを肝に命じておく必要がある。国内の武力装置は、国連という外部の機関や武力装置からの干渉に徹底抗戦する傾向を持っている。戦争を知らない「防衛大学校出身」の軍人が、暴走しないという保障は、どこにもないのである。
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司法当局は必須逃れの公立高校の校長を「公文書偽造罪」で一斉摘発、逮捕・起訴に踏み切るべきである

2006年12月17日 17時19分59秒 | 政治
公立高必修逃れ、文科省が関与の歴代校長ら処分の方針(読売新聞) - goo ニュース


◆「必修逃れ 関与の歴代校長ら処分―公立高 文科省が統一見解」の見出しをつけ、読売新聞の12月17日付朝刊「一面」で報じた。必須科目を教えていなかった公立高校の校長らの処分について、必須逃れを始めた時期にまで遡って処分するよう、都道府県教育委員会に求める方針を固めたというのである。
◆これは、当然至極の措置である。関係者は、厳しく処分すべきである。これを受けて、司法当局は、「公文書偽造罪」の容疑という「犯罪事実」を知ったのであるから、速やかに捜査し、容疑者を一斉摘発・逮捕に踏み切り、各地の地検に立件し、起訴すべきである。「犯罪事実」を認知しておりながら、甘い態度を示していては、生徒たちに「規範意識」を養えなくなる。「信賞必罰」は、教育現場における「教育効果」を高める。
◆従って、卒業までに単位を取得できない生徒は、「落第」させなくてはならない。スポーツの世界では、フィギュアスケートの浅田真央選手は、トップ入賞していながら年齢でひっかかり、オリンピックに出場できなかった。 フライングした選手も即、失格となる。風邪薬を飲まされていたばかりに、賞を剥奪された馬もいる。「可愛そうだから」というお涙頂戴の「温情主義」は、却って、教育を歪めることになる。ましてや高校は、義務教育ではないのであるから、「未履修」の生徒に自己責任を取らせる必要がある。
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「愛国態度」を養うインチキな愛国心を高揚するよりも、「コミュニケーション力」を高める教育を

2006年12月16日 16時31分16秒 | 政治
◆前ドラエモンの声で有名な女優の大山のぶ代さんが、NHK番組「課外授業」に出演し、母校の小学校(渋谷区立臨川小学校)を訪問して、「伝えよう励ましの心」とのテーマで”短所は魅力に変えられる”ということを教えた。子どもたちに「世界の偉人になったつもりで、弱点に悩む同級生の相談に乗ってください」と課題を与えていた。のぶえ代んは、子どものころ、同級生らから「変な声だ」とバカにされたて、落ち込んでいた。いつものおしゃべりなのぶ代さんの異変に気づいたお母さんから励まされて、自信を回復したのぶ代さんが、学校の放送部に入り、後に女優となり、声優となって活躍するようになったエピソードを前触れにしていた。
◆子どもたちは、のぶ代さんが配布した用紙にそれぞれがいま悩んでいる「弱点」を書いて提出する。それらを再び、子どもたちに配り直す。用紙を受け取った子どもは、用紙に記載されている「弱点」に対してアドバイスを書く。そしてその用紙を見ながら、のぶ代さんは、不十分な点を指摘して、もう一度よく考えるように指導する。子どもたちは、自分が選んだ偉人(豊臣秀吉、一休、ノーベル、ベートーベンなど)について、図書室でよく調査、研究したうえで、最後に、相手の同級生に向かって、偉人になり切ったつもりで、口真似、物真似を交えて相手に弱点をいかに克服すればよいかなどのアイデアを示しながら、慰め、励ましていた。子どもたちの言葉は、心がこまった出来栄えで、最初にのぷ代さんに用紙を提出したときと比べると、格段優れた内容になっていた。子どもたちは、言葉というものの、素晴らしさを学び、みんな晴れやかな顔だった。
◆のぶ代さんの授業は、現在の日本の学校教育に欠けている自ら言葉を発して、人と「コミュニケーション」することの大切さを教えてくれていた。とりわけ、コミュニケーションの方法について訓練することの重要性を実証していた。アメリカでは、授業のなかに「コミュニケーション」という科目があるそうである。多民族社会では、自分のことをはっきりアピールするとともに、他人の意見や言い分にもよく耳を傾けて、悩み相談にも乗る訓練をする。また、議論を戦わす「ディベート」の訓練も行い、表現能力を高めていくのである。
◆これに対して、日本では、座学が中心で教師の話をほぼ一方的に聞き、ペーパーテストの成績により、到達度を測定するというのが、一般的である。これでは、表現力も、コミュニケーション力も、ましてや「励ましの心」を養うこともできない。
「愛国心」という言葉を「国を愛する態度」というまがい物の言葉で誤魔化すような教育基本法改正を行うことで事足れりとする暇があるくらいなら、むしろもっと実践的な基礎訓練を徹底的に行う方が、国際化した現代社会に最もふさわしい教育ではなかろうか。
ちなみに、読売新聞が12月16日付の朝刊の社説で、教育基本法改正を喜んでいるが、
民主党案にあった「愛国心の方が直接的で素直な表現だった」としながら、「ともあれ、改正基本法の成立を歓迎したい」と妥協しているのは、いかがなものか。「態度=ふりをする」教育では、「百年の大計」を誤ることに読売新聞が加担することになる。百年の禍根は、ここから生まれる危険がある。
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徳川家康も失敗したほど「子育て」は難しい

2006年12月15日 16時57分23秒 | 政治
◆教育基本法改正案が12月4日の参議院教育基本法特別委員会で、自民、公明両党の賛成多数で可決された。だが、教育基本法を改正したところで、今日の日本が抱えている教育問題が解決、解消するわけではない。根本は、「子育ての難しさ」から発しているからである。「子育ての難しさ」は、今も昔も変らない。その一つの例が、「徳川家康」である。家康公は、第2代将軍・秀忠の夫人・於江与の方に長文の手紙を送り、子育ての仕方について戒めている。世に言う「訓誡状」である。
家康公は、長男・三郎信康の「子育て」に失敗している。我がまま三昧に育てた挙句の果てに、信康が親の言うことを聞かなくなったのである。家康公は、こう書いている。
「三郎事出生の節は、年若にて子供珍しく、其の上ひがいす故、育ちさえすればよきと心得、気のつまり候事はいたさせず気侭に育て、成人の上急にいろいろ申し聞け候へ共、とかく幼少の時、行儀作法ゆるやかに捨置き候故、親を敬する事も存せず、心やすく存じて候て、あれは是故、これはあれ故と申しわけばかり致し、後には親子の争いの様になり候て、毎度申し候ても聞き入れず、却って親をうらみ、また親よりは一身の生得悪敷と存じ候様に成りゆき申し候、夫にこり申し候まま、外の子供は幼少より、我等が前にて行儀作法能々仕付候者へ申付け置き・・・」
◆わがままに育てたのが、禍して、家康公は、武田に通じた信康を妻・築山御前とともに、「妖刀・村正」によって殺さざるを得なくなっている。この反省の上に立って、家康公は、秀忠の次男・国松(後の忠長)を思い切り甘やかせて育てていた於江与の方を諌めたのである。だが、於江与の方は、家康公の親心を意に介せず、子育て方法を改めることはなかった。この結果、後に忠長は、兄・家光の命令によって自害に追い込まれている。
◆「子育て」は、古くて新しい問題であり、他人の子を大勢預かっている小中学校、ましてや高等学校の教師の手に負える問題ではない。いくら教育の場とはいえ、親が行なうべき家庭教育まで学校に持ち込むのは、誤りである。学校は、学問研鑚と基本的な訓練を行なう場であることを忘れるべきではない。中学から高校に進学する段階では、「内申書」は有害である。児童生徒を「仮面人間」にしてしまっているからである。内申書をよく書いてもらいたいがために、教師の前では、「いい子、ブリッ子」を演じている。その陰で、陰湿な「いじめ」が繰り広げられている。
◆今回の教育基本法改正の最大の問題点は、「愛国心」という言葉を書き込むのが目的だったはずなのに、これを意図的に避け、「国を愛する態度」と中途半端な言葉にすりかえた点である。「態度=ふりをする」では、「いい子、ブリッ子」を益々、増産することになる。まさに、「百年の大計」を誤りかねない愚作である。
◆余談ながら、文教族のドンである森喜朗元首相の子弟が「ボンクラ」だったのは有名であり、警察沙汰にもなったことがある。こんなことでは、日本の教育の先が思いやられるというものだ。
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安倍首相は、当分「アマ首相」と呼ぼうではないか

2006年12月14日 13時07分07秒 | 政治
◆安倍首相の人気が「いまいち」どころか、まさに地獄の低落の道をたどっている原因は、
すでにいくつか指摘されているが、この際、掘り下げて整理してみると、以下のように集約できた。
◆①二つの背後霊、それも悪霊に取り付かれている。2つの悪霊とは、改めて言うまでもなく、森喜朗元首相と青木幹雄参議院会長の2人である。内閣支持率が史上最低とも思える「17%」まで下がった森元首相に取り付かれて、言いなりになっているのだから、支持率急落は、当たり前である。道路利権のドンである青木会長に睨まれて怯え蛙のようでは、思いきった「決断力」も「強力なリーダーシップ」も発揮できるわけがない。一刻も早く「悪霊」は、退治しなくてはならない。青木会長は、「言うことを聞かないと入院するぞ」と安倍首相を恫喝したそうだが、「入院」と言わず、思い切って「入棺」するくらいの政治的決断をして欲しいものである。
◆②安倍首相の周りの側近があまりにも「低レベル」すぎる。はっきり言って「茶坊主」ばかりで、政治的には有害である。その代表者が、下村博文官房副長官である。かつて大平内閣時代、加藤紘一官房副長官という最優秀な副長官がいたが、加藤副長官と比べてみると、そのレベルは、雲泥の差である。加藤副長官は、大平首相に可愛がられたが、その秘密は、「抜群の情報収集力」にあった。首相執務室は、本当の情報が入りにくい「エア・ポケット」のようなところがある。情報を持ってくる官僚や政治家が、粉飾してくることが多いからである。日本一と言っていいほど多くの情報がもたらされるにもかかわらず、その大半は、「バイアス」がかかっている。これに対して、加藤副長官は、自分の足で情報を集めた生の情報を大平首相にもたらしていた。下村官房副長官には、この情報収集力もなく、ましてや生の情報を安倍首相に持っていこうとする努力の跡がみられない。ボンクラ官房副長官である。
◆③安倍首相は、陰湿な「密室政治」の暗いイメージに覆われている。「説明責任を果たす」と言ってムキになって説明するときは、しゃべりすぎで何を言いたいのか意味不明である。小泉前首相は、「ワンフレーズ・ポリティックス」と言われて、国民の心にストレートに突き刺さる言葉を発して、構造改革を進めてきた。これは、就任早々、日産自動車のカルロス・ゴーン社長の訪問を受けた際、「改革の極意」を聞いたということに秘密がありそうである。ゴーンは、「アマチュアは物事を複雑にしい、プロはシンプルに明快にする」という名言を吐いているが、レバノンの高校時代、イエズス会の神父でもある恩師から教えられた言葉をいまも座右の銘にしているのである。小泉前首相の成功と安倍首相の失敗の差は、この違いにあるのかも知れない。
安倍首相は、まだ「アマチュア首相」なのである。だから、当分は、「安倍首相」とは呼ばずに、「アマ首相」と呼ぶことにしよう。
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安倍首相、御手洗会長は「暴君」か、「弱い者いじめ」を即刻止めなさい

2006年12月13日 16時34分59秒 | 政治
◆安倍首相の「本性」が剥き出しになっている。資産数十億円を誇る資産家であり、何不自由なく育てられてきた「お坊ちゃん」である。それだけに、「弱者」の境遇に思いが至らないようである。「定率減税」の廃止に加えて、「母子加算」の廃止、「生活保護費」への切り込み、これらに加えて高齢者の公的年金から住民税を天引きする制度を2009年度をメドに導入する方針を固めたと朝日新聞の12月13日付け朝刊が報じている。
 このところ、NHKが「スペシャル」番組で「ワーキングプア問題」を特集するなど、働いても働いても報われず、年収が生活保護費を下回る所帯が増加する悲惨な状況が社会問題化してきている。
◆こうした「弱者いじめ」に加担しているのが、日本経団連の御手洗富士夫会長である。経団連独自の政策ビジョンを提言したまではよかったが、その内容がいただけない。何と「残業代ゼロ」を提唱しているのである。人件費をケチろうとする経営者の心理は、当然とはいえ、「真面目な勤労者」をいじめるのは、いかがなものか。このところ、トヨタ自動車が、「営業利益2兆円」を達成したのをはじめ、景気のいい大企業の多くは、ホクホク顔で悦に入っているけれど、国民の消費マインドを冷やしたのでは、景気は本物にはならない。ましてや、持続するは難しくなる。
◆自民・公明連立の政府与党と経団連は、近年緊密な関係にあり、政策・利害面で平仄を合わせているとはいうものの、「弱者いじめ」まで一緒になって行なうことはない。全国の学園を席巻している「いじめ」の「元凶」が、ここにあることをもっと自覚すべきである。あまり弱い者いじめをし続けていると、いずれ「弱者の反撃」を受けるときがくることを肝に命ずるべきである。即刻、弱い者いじめを止めなさい。
◆ちなみに、安倍首相は、「中国残留孤児」から訴えられた裁判で、第一審敗訴したが、「控訴」を取り止めて、謝罪すべきである。小泉前首相が、就任早々、「ハンセン氏病訴訟」で「控訴」を断念して喝采を浴び、内閣支持率を高めたのを謙虚に受け止め、参考にする必要がある。いずれにしても、今の安倍首相には、「気は優しくて力持ち」といった「桃太郎」のイメージは毛ほどもなく、むしろ「暴君」に見える。
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