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政府の「教育再生会議」は、思い切って文部科学省を解体を提言してみてはどうか!

2007年05月10日 15時57分16秒 | 政治
◆政府の「教育再生会議」(野依良治座長)が、子育てや家庭教育の「あるべき姿」を示し、親に自覚を求める提言案をまとめたという。しかし、政府が家庭教育に踏み込むのは、いかがなものか。第一、提言をどうやって家庭に浸透させるつもりなのか、さっぱりわからない。「小さな親切、大きなお世話」である。
◆母乳育児や子守り歌の励行というけれど、現状では夫婦共稼ぎ家庭では、勤務先に乳児を連れていかなければ、母乳育児は、不可能である。あまり「母乳育児」を強調しすぎると、森永乳業や雪印などの「粉ミルク」が悪者にされる危険がある。安倍首相の明恵夫人が森永乳業の一族であることを配慮していない乱暴な提言案と言わざるを得ない。営業妨害になりかねないからである。母親が保育所に子どもを迎えに行き、帰宅したときには、子どもはすでにぐったりしていて、子守り歌などを聞いてくれるどころの話ではないだろう。
◆提言案は、「テレビ視聴の制限」をうたっている。これもおかしい。子どもによっては、「ながら族」もいる。世界に目を開いているテレビ番組が、学校教育よりも優れた教育材料を提供してくれていることを無視すべきではない。NHKの教育番組は、レベルが高く勉強になる。テレビを見ない子どもは、学校で級友たちとの話題について行けなくなり、のけ者にされるかも知れない。
 また提言は、「子どもの発達段階に応じた道徳教育の必要性」を打ち出しているけれど、これも「点数化」するのでなければ、何の効果も発揮しないだろう。偏差値や点数にして評価されない教科に子どもたちが、真剣に取り組むはずはない。ホームルームでワイワイ、
ガヤガヤ、時間を無駄に過ごすのが、関の山である。こんなことは、むかしからちっとも変わっていない。
◆最近、不良教師なよる刑事事件が多発していることを振り返れば、政府がいかに騒いでも、子どもたちに道徳教育を行おうとしても、何の効果も発揮できないのは、目に見えている。
◆「教育再生会議」が、本当に日本の教育を再生しようとするなら、まず、文部科学省が、日本の教育を悪くした元凶であることを真摯に反省し、国民に謝罪し、できれば、速やかに文部科学省を解体するべきである。そして、母親が安心して子育てできる環境を整え、子どもの「遊び場」を再生することが、先決である。「教育再生会議」が提言しなくてはならないのは、こういうことである。それ以外は、空念仏と少しも変わらない。
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恥ずかしい限りの安倍首相は、一刻も早く、退陣はすべきだ

2007年05月10日 00時29分52秒 | 政治
◆安倍首相もおかしい。中国、韓国は誤魔化こさせても、国民を誤魔化すことはできない。「真榊」(5万円)を靖国神社に捧げたとは、小ざかしい。こんな首相を持っている国民としては、は恥ずかしい限りである。一刻も早く、退陣はすべきである。
◆「東条が早よう戦争を止めればえかったのに・・・」とは、私の祖父が昭和60年6月11日未明に96歳で亡くなるまで言い続けた怨みの言葉であった。伯父は昭和20年2月、召集令状に応召して、呉市の海兵団から出征し、祖父は6月に「黄海方面にて戦死」の公報を受け取る。「東条英機首相が一日も早く戦争を止めておれば、一人息子は戦死しないでもよかったのに」という口惜しさを、祖父は怨念とともに抱き続けていた。時折、墓地に出かけては、墓石の一部を動かし、そのなかから、古ぼけた小さな紙包みを開けては、「ある・・・」と言いながら、泣いていた。紙包みには、伯父の「手の爪」が保存されていた。
◆大東亞戦争末期、「竹槍事件」というのがあったそうである。政府が国民の多くに、竹槍で敵を殺す訓練をさせているのを見て、毎日新聞が社説で批判したところ、東条首相が社説を書いた記者を「懲罰召集」して、戦地の最前線に送り込もうとしたのである。その記者は、海軍に助けられて、危うく難を免れたという話である。
◆東条英機が、敗戦により自害するなり、処刑されるなりするのは、軍人としては、当たり前の結末である。にもかかわらず、自殺未遂で生き恥を晒しさておくながら、本来、戦死者を祭る靖国に列せられているのは、おかしな話である。靖国神社は、速やかにこの間違いを認めて、「偽戦死者」である東条英機の名前を霊示簿から削除すべきである。それでも東条英機を顕彰したいと思う輩は、「東条神社」を創建すればよい。これは、東条英機が「A級戦犯」であるか否かとは、関係はない。日本遺族会は、東条英機が「戦死者」ではないことを素直に認めるべきである。「法務死」(単なる絞首刑死にすぎない)という姑息な言い方は、国民を惑わす元である。いっそ、国民の手で絞首刑死にしておけばよかったのである。
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