占領軍に遠慮して作成した「教育基本法」の欠陥を正し、改正案には「愛国心」を盛り込む必要あり

2005年07月07日 17時29分57秒 | 政治
「愛国心」は両論併記…教育基本法改正案の要綱案骨子 (読売新聞) - goo ニュース

 読売新聞が7日付の朝刊で、「教育基本法改正案の要綱案骨子」を報じた。「『愛国心』」両論併記」の見出しつきである。短いながらも、読売新聞記者のスクープ記事である。内容は以下の通りである。
 「教育の目標に『公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画する態度の涵養』と明記したことなどが柱だ。焦点の『愛国心』については、自民、公明両党の調整がつかず、『国を愛する』と『国を大切にする』の両論併記となった」
 この骨子は、前文や教育の目標など18項目からなり、「与党教育基本法改正に関する検討会」(座長=保利耕輔・元文相)の議論を受けて、文部科学省が作成したという。
 ところで、大東亜戦争に敗戦してからの日本の教育の最大の欠陥は、文部省が、「愛国心」「国を守る気概」教育を怠ってきたことにある。家庭にまで公権力が介入するのは、好ましくはないけれど文部省があえて家庭教育についても、少なくとも一定の指針を示す程度のことは、児童生徒の教育上、許されて然るべきであろう。にもかかわらず、文部省は、連合国軍最高司令部(GHQ)によって「皇国史観」が全面否定され、「教育勅語」が戦後廃止された経緯もあり、人間にとって最低限必要な「徳目」までも否定してしまったのである。「親の孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習い、以て知能を啓発し、徳器を成就して・・・」という徳目の一体、どこが悪いというのであろうか。
 「与党教育基本法改正に関する検討会」(座長=保利耕輔・元文相)の議論を受けて、文部科学省が作成したという骨子からして、文部官僚の腰が引けている。というよりも、「腰抜け」である。
 「愛国心教育」といえば、中国・北京政府が日中戦争の発端となった「蘆溝橋事件68周年」を契機として「愛国心教育」を徹底・強化し、「反日教育」を大々的に進める方針を決めているという。新聞、テレビ・ラジオなど「官製メディア」を総動員して、これまで以上に日本への攻撃を強めるというのである。何のために、こんなことを行うのか、北京政府の「謀略宣伝の意図」というものを疑わざるを得ないのであるが、悪質な「思想攻撃」という「間接侵略」に対して、日本としては、安閑としている場合ではない。それでなくても、同じ日本人でありながら、「利敵行為」を喜んで行う不埒な「左翼」が多いのである。日本人としては、国内外からの攻撃に翻弄され、国内を攪乱されることのないよう「思想を堅固」にして迎え撃つ必要がある。
 ところで、教育基本法になぜ「愛国心」という言葉が盛り込まれなかったのか。この疑問を氷解させてくれる文章を、「新渡戸稲造全集第1巻」の付録に見つけた。
 文部省学校教育局長を務めた「日高第四郎」(学習院次長兼同短大学長)という人物の「教育基本法とその日本的背景」と題する文章である。以下、この全文を引用する。

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教育基本法とその日本的背景
日高第四郎

 太平洋戦争に敗退し降服した結果、日本は事実上明治憲法を廃止し、新しい憲法を制定せざるを得なかった。これに伴って敗戦前国民教育の淵源として重んぜられた教育勅語は歴史的文献として棚上げせられ、それに代って教育基本法が一九四七年三月に制定され、新しい教育の拠所とされた。この基本法が出来たのは聯合軍の日本占領後僅か一年半の頃であった。その上この法律は、司令部の強力な指導の下に制定されたと信ぜられた新憲法を、その基本前提としていたという事情もあったので、可なり多くの同胞は、これもまた占領軍の命令もしくは強制に基いて作成されたのではないかという疑惑をもっていたようである。
 現に十数年を経たあとに、荒木文部大臣はその就任画後改めてこの法律を読み返したところ、その前文にも本文にも普遍人類的な理念及び観点は強調され明示されているが、日本人としての自覚とか、民族的自主性とかいうような欠くべからざるも一つの大切な観点が欠如しており、恰も無国籍のコスモポリタンの養成を志すが如き印象を与えるというような慨歎を表明されたことがある。 実はこの法律の制定当時私は臨時に( 旧制) 第二局等学絞の教授から文部省の学校教育局長に転出していた。そして文教刷新に関する諸法律乃至諸制度の要綱案を諭議し作製するという重大な責任を担当された教育刷新委員会( 後に審議会と改称された) の会議に、私も事務的世話役の一員として始終出入して、その審議の模様を大体承知していた。私は占領下のこととて、米軍当局から特殊な干渉又は強圧がありはしないかと憂慮して極力注意を怠らなかったが、さいわい委員会の自主性は重んぜられ、又秘密の偵察らしいものも気付かれなかった。そしてむしろ公然と司令当局の代表者三名、刷新委員会代表者三名、及び文部省当局代表者三名とからなる連絡会(Steering Committee と呼んでいた) をしばしば開いて、情報の交換と意志の疎通がはかられた。私もそれに列席していたが、「この基本法の要綱に関する限り」格別行き違いも干渉がましい問題もなくてすんだ。
 かくして要綱が決定され内閣に正式に答申されると、文部省はそれに基いて法( 律) 案を作製し、先ずそれを枢密院会議に諮謁し、ついで最後の貴、衆両院の議会( 第九十二帝国議会) に上程されたのである。その際私共も政府委員として陪席し条文等に関する質疑に応答しなければならぬ立場に立たされたのである。
 その節私は「個人としては」先に述べた荒木文相の指摘されたような欠陥をはっきり自覚して、前文のどこか適当な個所に日本とか祖国とかいうが如き「国を思う心構え」表現して欲しいと切望していたのであるが、占領後間もない時期であったから、下手をすれば、戦捷国に対する反抗もしくは復讎の意図を以て国家意識を強調するのではないかという疑惑や誤解をまねく恐れもないとは言えなかったので「政府としては」やむを得ず慎重を期して国民的自覚という意味を伏せておかざるを得なかったと解せられる。
 それ故に議会の質疑に対しては、次の様な心覚えを用意していた。基本法の前文にある「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造」をめざす教育を普及徹底しなければならないという条項の奥底には強調すれば「世界的な日本文化の創造」とも読める含蓄があること。又第一条にある、教育は人格の完成をめざし「平和な国家及び社会の形成者」としてというのは、決して単純な個人主義一点張りの人生観からではなく、具体的に言えは平和な国家及び社会という「共同体の構成員たる資格」の必要を指すのであること、更に第一条の終りに「国民の育成」を期してとあるが、それは過去の独善的な国家主義をすてて、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んずる、心身共に健康な、国民であるばかりでなく、しかも「自主的精神に充ちた」国民の育成を期するということ、短くいえば「歴とした日本国民」という含蓄が備えてあるということであった。
 たとえあの非常緊迫の事態には右の様な解釈説明が通用したとしても、おいおい平静を恢復した際、教育基本法をすらすらと読むならば、戦前並びに戦時において強調された極端な国家主義乃至軍国主義に対する激しい反感乃至反動があったが故に、正当な意味の日本人的自覚までも無視され消滅してしまったかの様な響きを残したことは、まことに残念であった。現にあの当時の貴族院議員憂国の志士ともいうべき佐々木惣一博士及び羽田享博士も質疑応答において政府の答弁をきいてその苦衷を十々察知し乍らも、この重要法案の内に、祖国を思う心構えが明確に表明されていないことに深い遺憾の意を表せられたのである。
 私は公人として公の場で応答する以外に、私人として折択先輩や友人方からも同様の不満を打明けられたことがある。彼らも大概は、この法律を恰も戦後の異邦人からの贈り物の如く早合点して「日本人の作とは考えてくれぬ」と言ったのである。それに対して私は二人の尊敬する日本人の名を上げてとくと考え直してみてくれと言った。一人は新渡戸稲造先生他は安倍能成先生であった。 安倍先生は基本法の直ぐ裏に立ってそれを支えた教育哲学的な太い柱であった。先生は終戦の翌年の一月文部大臣となり、その三月には米国教育使節団に対する挨拶( 安倍能成著『戦中戦後』二一九頁以下) の内に、日本の過去の教育の欠陥と過誤を正噴に徹底的に反省批判すると共に、今後のあるべき教育方針について、自主的自律的な所信をまことに率直に開陳すると共に、勝ち誇ったアメリカ人が自国の尺度を以て直ちに普遍妥当的な規範として日本に適用せざる様、大胆に訴えられた。この挨拶には、丁度一年後に判定された教育基本法に含まれた「重要概念」は殆ど全部羅列されていたのである。のみならず、そこには民族的個性の自覚も必要条件としてかくさず述べられていた。その上先生は、基本法の原案要綱の作製者たる教育刷新委員会' の委員長をもつとめられた人であった。新渡戸稲造先生は、教育基本法の精神の「歴史的背景」をおのずから築き上げられた、その育ての親であ' ったと、言えよう。というのは、この法律を恰も予測せるが如く、「透徹せる自律的人格主義に基く近代民主主義」を、思想的にも実践的にも情緒的にも生活に具現された新日本の開拓者たる趣きをもっておられたからである。
 新渡戸先生ならあの基本法を書かれるのに最もふさわしい方ではないだろうかと言うと、ある友人はただニヤリと笑った。あの法律の成立よりほぼ十四、五年前に既に他界された方を今更証人の様に引合に出すとは窮余の一策ではないかと言わぬばかりに。ところが先生は、時代に先んじて抜きん出た価値判断を身につけた学者、思想家、教育家であると共に温情ゆたかな宗教家でもあったらしい。その人が信仰をふりかざすことなしに校長として、大学の教授として、又学長として永年多くのすぐれた素質をもつ後輩に接したのである。その間にただならぬ師弟関係又は友誼関係の生れたことは推して知るべきであろう。
 実際先生の人格的思想的信仰的影響を身につけた次代の人々が、敗戦後の危機に際会して先生を忘れていたであろうか。多くの人々は先生に代わるような心持を以って祖国の復興の為にそれぞれの立場から身命を賭して立ち上がったであろう。たとえば戦後の文教関係の有力者について言えば、幣原内閣の文相前田多門氏は先生が信頼された愛弟子ではなかったか。前田氏の後任安倍能成氏は、前田氏が、やはり同門の田島道治氏との相談の上、頼まれたということである。その安倍氏こそ前述の如き重要任務を果されたのである。安倍文相の後任田中耕太郎博士も又当時の文部次官山崎匡輔博士も、その(旧制)一高時代に新渡戸校長の薫陶をつけられた方々である。のみならず基本法の生みの親たる教育刷新委員会の委員三十八名中、新渡戸先生と浅からぬ関係であったと推定できる方々は、八人を下らないようである。安倍能成(委員長)、南原繁(副委員長)、関口泰、天野貞祐、森戸辰男、河井道、上代たの、田島道治の諸氏である。ことによったら落合太郎、渡辺銕蔵、小宮豊隆の諸氏も之に準ずる方かも知れない。
 こう見てくると基本法の構想に関して先生は直接にこそ語られなかったにしても、この先覚者は後輩又は弟子を通じて思想的に影響を及ぼされたと見られないであろうか。
 明治中期以降の日本教育の方針は忠君愛国を基調としていたが、国際紛争に遭遇する毎に政治情勢を反映して、極端な国家主義が強調され、その反面国際的視野は無視され普遍人類的関心は枯渇しがちであった。かかる雰囲気に於いても新渡戸先生は、つとに文化や教養や信仰の歴史的発発展の過程に、普遍性と特殊性、国際性と国民性、人類性と民族性、社会性と個性等一見相反するが如き両要素間に相互補足の微妙な内面的関係あることを洞察され、両面の和解融合を意図され、それを実践生活にうつして行かれた、卓越した民衆の友であられたと思う。
 先生が( 旧制) 第一高等学校の校長時代に学習院長の乃木大将が、先生を訪ねられたという。日露戦争の「勇将」が、「平和の使徒」たる使命を荷える先生に何を求めて行かれたのであろうか、その時将軍は心の底に秘められた尽きぬ悲しみを歌に托して示された。
 語らじと思ふ心もさやかなる月にはえこそ隠さざりけれと。博士夫妻は、この勇将のこの歌心に涙をさそわれたという。この一見相反する立場の間にも、「純真な忠誠」と「内なる光」との融合媒介によって相結ばれる機縁があったのではあるまいか。
 私共も( 旧制) 第二局等学校の生徒時代に、前校長たる先生の「ファウスト物語」をよんだり、先生の愛読書カーライルのサーター・リザァタスを教室で学んだことがある。又「武士道」は桜井鴎村氏の訳で読んで感銘をうけた。そして先生の信奉されていたキリスト教からは、愛がにじみ出ているように感じた。それは先生の親友内村鑑三先生の所説には妥協をゆるさぬ峻厳な調子が宿っていたのとは大いに異っていたのではないか。先生の信仰は内心の自由と寛容とを本質的に支持されたのではないか。それ故に武士道を論ずる際にも、先ずそれをキリスト教的ヒューマニズムの懐に温く抱きしめて、その特異な発生基盤と環境との連関を通して、その道義的体系を理解し更に普遍的な理念の光に照してその意味内容を検討して全体としての価値判断を広く他国にも紹介したのだと言えるであろう。ところがそれは日本人自身にも非常に大切な反省と自覚のかてとなったと思われる。
 私は、先頃、矢内原忠雄氏の訳による「武士道」を読み直して感銘を再び新にした。第一に若い先生の日本の歴史的伝統に対する並々ならぬ深い関心と認識に驚いた。第二に古今のヨーロッパ諸民族の文化に対する博識と洞察に感心した。第三は、上述の両側面を微妙に整理して、内面的に結合させるクェーカーの信仰の奥床かしさに打たれた。「内なる光」を導きとする沈黙の祈りにおいて、神を仰ぎ、神の栄光の下に凡ての隣人と結ばれるという心境、私はそこにアッシシの聖フランチェスコの小さき花にある美しい宗教詩を思い起すと共に、西行の歌が連想された。
 わづかなる庭の小草の白露を求めて宿る秋の夜の月というのである。
 実は私は画接には殆んど先生を存じ上げていない。じかにお目にかかったのはたった一度に過ぎない。たしか昭和六、七年頃であった、( 旧制) 広島高等学校からのお願いで先生が講演にお見えになったことがある。その時私はそこの教授として応対に出て、久しく尊敬していた大先生にお目にかかる幸福を味った。その折ある旅館で先生と夕食をともにいただいた。先生は運ばれて来た料理の色々の皿から先づ一つの大皿に、召しあがる丈の分量を自らお集めになったあと、残された分を給仕の女性に、これは箸はつけてないと注意されて下げさせられた。私はそのつつましい嗜み-僅かのものにも、それの生産過程に払はれた人人の労苦を感謝するが如き心ばえの伺がわれるような措置-の奥ゆかしさに打たれた。そして先生は人々に隔てをおかぬ平民的な方ではあるが、「全くただ人ではない」と敬意を新にしたのである。
 先生が晩年には国際連盟の事務次長として、信望を荷われたことは、「国際人としての資格をゆたかに具えた類例少ない日本人の代表」と言えるであろう。
 もしも、教育基本法が教育上の「普遍的要素と個性的要素とをともに重くみる」新渡戸先生のような方々によって、今後の教育の実践に適用されたら、日本の行く手に輝きを放つにちがいないと思うが、どうであろうか。( 学習院次長兼同短大学長)

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教育基本法
  昭和22・3・31・法律 25号  

われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

(教育の目的)第1条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の方針)第2条 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。
(教育の機会均等)第3条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって就学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

(義務教育)第4条 国民は、その保護する子女に、9年の普通教育を受けさせる義務を負う。2 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

(男女共学)第5条 男女は、互いに敬重し、協力しあわなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない。

(学校教育)第6条 法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
2 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。

(社会教育)第7条 家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。
2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によって教育の目的の実現に努めなければならない。

(政治教育)第8条 良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

(宗教教育)第9条 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

(教育行政)第10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

(補則)第11条 この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。




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