土木のしごと - (有)礒部組現場情報

地域のためにはたらき、ふつうの暮らしを支える人たち。(有)礒部組とその仲間たちのたのしくゆかいな面々。日々是土木。

呪文のようなもの

2023年04月12日 | トシ子です

トシ子です

 

 

 

温かくなったと思ったら

あさ夕は少し肌寒かったり:( ;´꒳`;):

 

・.。*・.。🌸新生活スタートして

なれない環境や緊張などで

体調も崩しやすい時期ですので

いっぱい食べてぐっすり寝ましょう✨

 

そう言えば

昨日の朝、テレビで

黄砂と花粉を組み合わせたら

『花粉爆弾』

というものができるっていう⊂(lll°▾°lll)⊃

(バイオハザードかッ!)

 

昨日、今日と

そんなものが飛び回っているらしいです💦

 

 

『花粉爆弾』

なんて初めて聞きましたが…

 

 

 

先日

同行させてもらったパトロールでも

未知のワードに出会いました……👽

 

 

まず、パトロール隊が到着すると

担当のカントクさんが

工事の内容や、工程の進み具合などを

説明してくれます👷‍♂️

その現場は会社からほど近い場所で

住宅街にある道路の

道幅を広げる工事とのことでした

 

なんでも

👷‍♂️入り組んだ道の

      手前は『ジュウリョクシキヨウヘキ』で

      奥は『ジユウコウバイソッコウ』を使って

土を留めるんだとか

 

      ……

 

 

🙎‍♀️🙎‍♀️????

 

一緒に行っていたセンパイ事務員さんと同じとこで

二人で顔を見合せてギブアップ!!

 

呪文のような

その言葉

 

 

分からないことは迷わず聞きます(◍¯∀¯◍)ヒヒ

 

『ジュウリョクシキヨウヘキ』は

漢字にすると『重力式擁壁』で

型枠を組んでコンクリートを流しいれて手づくりするそうで

なんだか台形の構造物を作って

広げる道の端にするのだとか……

 

『ジユウコウバイソッコウ』は

同じく漢字にすると

『自由勾配側溝』で

底がないので、その名の通り自由な勾配をつけられるという

側溝のことだと教えてもらいました★

 

手前と奥の道では同じ『道』でも

片方は水路が必要なので水路兼用の土留めとし

もう一方はそれが要らないので

コンクリートの重さだけで土を留める

それぞれの用途に応じて工法を変えているとの事でした。

 

『へぇぇぇぇ~』

 

適材適所だなぁ

っと関心しきりでした👀👏🏻

 

 

『重力式擁壁』と『自由勾配側溝』

の詳しい説明は

『ミヤウチさん』に

しばらく投稿のない

『トシ子さんの疑問に答える』で

お願いするとしましょう😄😄

 

 

『適材適所』です・.。*・.。*

 

 

では本日も

 

 

『ご安全に』

 

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若手社員研修(その2)~「礒部組65年の足跡をたどりながら土木を学ぶ」ツアー(1)

2023年04月12日 | 社員研修

 

若手社員研修の2日目は朝からの曇天

次の日は雨になりそうな予報を受け

3日目に予定していた「礒部組の足跡をたどりながら土木を学ぶ」ツアーを前倒しです。

 

さあ、行くよ!

とまず向かった先は北川村中部にある和田星神社。

戦後すぐまでは、おなじく北川村にある木積星神社とともに

お弓祭りが行われていたというお宮です。

 

ん?

礒部組の歴史探訪実習なのに、なぜ神社?

 

ハイ

疑問はごもっともですが

ココには礒部組の歴史を語るうえで欠かせないものが鎮座ましましているのです。

じゃん!

 

 

 

 

 

頌徳碑(しょうとくひ)。

頌徳とは「徳を称える」という意味です。

つまり

誰かの徳を称えるために建てられた石碑ですね。

 

苔むして

そこに刻まれた文字にはよくわからないところがあるのですが

冒頭にはたしかに

「奈半利町礒部組」とあります。

 

 

 

 

 

なんとかして判読しようとする若者たち。

わたしも参加してみますが

完全に解読することはできませんでした。

 

がっ

しか~し

将来こんなこともあろうかと

今をさかのぼること11年前に写真に収め

その文字を写し撮っていた人がいました。

(わたしデスけど^^;)

 

 

 

 

 

 

奈半利町礒部組社長礒部英昭氏

至誠温厚にして敬神の念深く

自費を以って星神社参道を開設寄進された御厚志に感謝し

永くこの功績を顕彰す

 昭和五十七年四月吉日

 和田小島氏子一同

 

近江商人の「三方よし」にいわく

「売り手よし、買い手よし、世間よし」。

つまり

良いモノを売って買い手に喜んでもらい

もうかった利益をひとり占めせずに世間に還元して喜んでもらう。

というのがその精神です。

 

50年後の今

期せずしてわが礒部組は

「三方良しの公共事業」の旗振り役となっていますが

この創業者礒部英昭の行いは

まさに「三方よし」精神を体現したもの。

もちろん、人一倍「敬神の念」にあふれた方でしたから

まちがいなくその想いはあったのでしょうが

それにも増して

「地域のため」「地元の人たちのため」

という心が

自費で神社参道を開設するという行為となってあらわれたのだと思います。

 

そういった意味で

イのイチバンに連れてきたかったのがココ

和田星神社なのでした。

(つづく)

 

(みやうち^^;)

 

 

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