函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

嫌味な事をする兼続!!

2009-10-26 | 歴史
上杉の義??に対して誇りを貫いたのは大国実頼だけ
だったのかも知れません
『世の中捨てたものではない』とか『本多殿のお陰で
助かった』とか、訳のわからない事を言っている兼続
よりはよっぽど筋が通っています

上杉の義などと言う訳のわからない事を掲げなければ
兼続のとった行動は至極当たり前。
本来、家名を残す為なら豊臣でも徳川でも擦り寄るの
は家老としては当然の事なのです

ところで
上杉家中でも3~4番目に高禄を食んでる大国実頼。
兼続ほどではないにしろ上杉家の中ではかなり発言力
があった筈です
ドラマでは実頼が本多政重との婚儀を勝手に断った事
になっている様ですが、実際は兼続が送った使者を殺
しそのまま高野山に出奔してしまった様です
よほど腹に据えかねたとしか思えぬ行動ですね

実頼が何故?本多政重との婚儀にこれほど反対したの
でしょうか??
義?を貫かぬ上杉(兼続)が許せなかったのでしょうか??
上杉を残す為には何でもする兼続の姿勢に上杉の武士
でいる誇りを感じなくなったのでしょうか??

直江家には実子・景明がいるのにもかかわらず徳川の
重臣本多正信の息子に直江家を継がせる事がよっぽど
我慢ならなかったのでしょうね

兼続と実頼はお互い養子にいった身ですが代々上杉家
の家老を務めて来た直江家、そこに徳川の家臣・本多
の血が入る事を良しとしなかったのでしょうね
ある意味、兼続よりは確固とした意思が感じられます

出奔した実頼には娘がいたのですが兼続が引き取って
いました。
本多政重に嫁いだ兼続の娘は間もなく亡くなってしま
いますが、その後添えに何とその実頼の娘を充てたの
です
実頼にとってこれほどの屈辱はなかった筈です
色んな理由があったとは思いますが、婚儀に反対し出
奔までした実の弟の娘を嫁がせるとは兼続も嫌味な事
をしたものですね
その事だけが原因ではないかも知れませんが、この後
兼続と実頼が会う事はありません

もしかして兼続が実頼の娘を嫁がせなければ、もっと
早く米沢に帰っていたかも知れません。
実頼は兼続が亡くなると直ぐに米沢に帰りますが、愛
の武将と言われる兼続に対してかなりの憎悪を持って
いたのではないのでしょうか
他人より近い人間の憎悪の方が根深いものがある様で


その後、子供店長演じる景明が成長すると本多政重は
米沢を去り加賀の前田家の家老となります
直江家の後を継いだ形になった景明ですが、直ぐに亡
くなり直江家は断絶
結果論ですが、実頼のとった行動は全く無に帰した事
になってしまうのです

本多家も同じ様に後を継いだ正純も結局失脚し本多家
も断絶
両家共、歴史の波に飲み込まれてしまった感じですね
勝者も敗者も安穏としていられない時代だったのでし
ょうか??
歴史とは何とも残酷な結果をもたらすものですね



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7 コメント

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こんばんわ! (ジャギ)
2009-10-27 20:55:35
こんばんわ!

今回の実頼の事件は関ヶ原の頃からの上杉家の抗戦派VS和平派の対立が背景にあったようです!
興味深いのは、抗戦派=官僚型の武将たちで和平派=軍人型の武将たちという事です!!
兼続は最初は抗戦派の代表だったのですが、現実的な対応をする為に和平派に変わったのですが、実頼たちから見れば裏切り行為に見えたのでしょう!
兼続と実頼、個人同士は仲の良い兄弟であっても周りの勢力に押されて対立せざるを得なかったのではと思ってます!

兼続の死後、直江家が再興されなかったのは本多正純の失脚が関系してるとしか思えません!
逆に考えれば、もし本多家が健在だったら直江家は江戸時代もずっと上杉家の家老首座の立場だったかもしれません!
それと伊達政宗は本多正純の失脚後に実力者になった土井利勝や酒井忠世とそうとう親しかったそうで、これが後の伊達騒動で伊達家がお咎め無しに繋がるのかと思うといろいろ考えさせられます!
返信する
なるほど!! (iseッチ)
2009-10-28 11:35:34
抗戦派の代表が実頼だったわけですね。
そう云えば、兼続亡き後、上田衆は排除
されたといいますがその辺にも理由があ
ったのでしょうか??
仰る通り、本多が失脚しなければ直江家
の断絶もなかったかもしれませんね。
もう一つの疑問は政重が何故前田家に士
官したかと云う事です。
御存じでしょうか??
返信する
天地人 (Unknown)
2009-10-28 15:29:36
 何だかドラマの天地人を見てると、本物の兼続が可哀想になりますね。
本当に佞臣なら、地元の神社に鷹山らと共に奉られないと思うのですが…。
 本多政重は、直江家実子・景明が無事に結婚すると、安心して直江家を去り、前に士官していた加賀前田家へ再士官してますね。
そして兄・正純と違い、こちらは5万石の家老となり出世しています。
直江家や上杉家とも交流は続き、徳川家との橋渡し役も続きました。
尚、父・本多正信亡き後は、すかさず兼続は次の有力者・土井勝利との結び付きを強くして行きます。
 直江家断絶の理由は、実子亡き後も、お家存続の意思を持たなかったのでしょう。
兼続亡き後も、次世代位までは直江派が力を持っていたと記憶しています。しかしその後は別勢力だったと思います。
返信する
こんばんわ! (ジャギ)
2009-10-29 00:29:07
本多政重は多くの大名から引っ張りだこだったみたいです!徳川家の重臣・本多正信の息子という肩書がモノを言ったのでしょうが、一説には新式の鉄砲に詳しかったようです!
余談ですが、前田慶次郎はほとんどが謎の人物で小説や漫画の前田慶次は若い頃の前田利家と本多政重をモデルにしてるそうです!!

前の方が仰ってる通り、政重は兼続の実子・景明が本多正信の媒酌で譜代大名の娘を嫁に貰った後、米沢を去りますが、加賀・前田家に仕官して夫人の阿虎(実頼の娘)を呼び寄せます!
この時に兼続と縁のある武士がかなりの人数で一緒に加賀に付いていきそのまま本多政重の家臣になります!政重の家臣の大半は上杉家および直江家の家臣だったそうです!!
財政事情の厳しい上杉家の人員を少しでも減らしたいという理由でしょうが、優秀な人材まで加賀に行ってるのは、米沢でなにか不穏な状況があったのかもしれないです!!

ところで、現在の大国家の方がテレビに出演されてましたが、大国家は実頼の死後に樋口秀兼の息子が入ったはずです!!
直系の祖先を登場させてないのに出演交渉したのでしょうか?
ドラマ制作者の神経が分かりません(汗)
単に勉強不足で知らないのかもしれませんが・・・!
返信する
そうだったのですね!! (iseッチ)
2009-10-29 08:54:50
ジャギさんありがとうございます。

兼続は米沢に鉄砲鍛冶を連れて来た
そうですが、政重も関わりがあった
のかも知れませんね。
前田慶次郎、個人的には凄く興味が
ある人物です。
前田家を出奔した理由も定かではあ
りませんし、上杉に仕官した理由も…
上杉が30万石に減封したに関わらず
何故上杉に残ったのでしょう?
5万石や10万石程度での仕官の道は
沢山あった筈なのに…
慶次郎にとって領地はさほど問題で
はなかったのでしょうね。
当時としては稀有な武将です。
殆どの武将と価値観が違った様です
ね。

断絶した本多家が前田家の家老とし
て生き延びるのですから分からない
ものです。

返信する
天地人 (天地人)
2009-12-25 17:48:09
 お久しぶりです(^^ゞ
本当に歴史は面白いですね
 ちなみに、ドラマでは史実がよく分からなかったので、米沢市(上杉家)をググッたり、
金沢市(加賀・前田家)の『本多蔵品館』((家老)本多政重を祖とする本多家の歴史館)をググッたら、政重氏の祖先の人が兼続の講習会をやっていて面白かった。
兼続や景勝から貰った書状や甲冑も展示していた模様。(また、スパイ扱いされた!って、嘆いてたみたい(^^;)
 それでは
返信する
Unknown (iseッチ)
2009-12-26 18:29:31
政重スパイ説、個人的には多分そうだった
と思っています。
人間の心は変わるので最後までスパイだっ
たとは思いませんが。
天知人の総集編も終わりましたが、戦国物
の総集編を見なかったのは初めてかも知れ
ません。
来年に少し期待したいですね。
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