函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

斉興と斉彬の確執!!

2008-01-20 | 歴史
ついに、跡取りを巡って薩摩藩にお家騒動
が起きましたね。
長男・斉彬とお由羅の息子三男・忠教(久光)
の争いです
当時は島津斉興の側室・お由羅の力が強かっ
たのでしょうか?
斉彬派の家臣が大量に処罰されたのです。
その中には大久保正助も入っていましたね
於一が大久保一家と係わり合いを持ったとは
にわかには信じられませんが??

結局、老中・阿部正弘の後ろ盾によって斉彬
が藩主になるのですが…

それでは
何故、斉興は40歳にもなる斉彬に家督を譲ら
なかったのでしょうか?
単なる好き嫌いだけだったのでしょうか?
それとも、お由羅への思いが強かったからな
のでしょうか?
勿論、原因は一つだけではないでしょうが
僕は単純に斉彬に藩主を任せるのが不安だっ
た為ではないかと思っているのです

斉興の祖父、25代藩主・重豪は西洋文化を好
みかなりの散財をしたと言われています
薩摩藩の500万両の借金は、殆どがこの重豪
の代のものなのです
重豪の後を継いだのが重豪の子供の斉宣なの
ですが、藩の実権は依然と重豪が握っていた
のです。
それでも斉宣は薩摩藩の財政改革に取り組み
ますが、その改革に真っ向から反対した父の
重豪によって37歳の若さで隠居させられてし
まうのです

その後を継いだのが斉宣の息子・斉興なのです
勿論、藩の実権を握っていたのは依然として
祖父の重豪なのですが…
最初、斉興は祖父の重豪に反抗する態度は一切
とらなかったと云います。
自分の父・斉宣の二の舞になるのを恐れたので
しょうね
さすがの重豪も財政改革に取り組む事になるの
ですが、少し遅すぎた感がありますよね
調所広郷を抜擢したのは重豪だといわれていま
すが、調所広郷の財政改革が日の目を見るのが
斉興の代なのです

斉興の長男・斉彬は、幕府の中でも英明の誉れ
が高かったらしいのですが、蘭学者や洋学者と
の親交を深めている斉彬を見て祖父・重豪の影
を見たのではないのでしょうか??
斉興にすれば、ようやく財政再建のめどがたっ
たのに、また祖父の重豪の様に散財をして藩財
政を逼迫させるかも知れないと思ったのでは…
何れにしても、斉彬が祖父重豪の姿にダブって
見えたのは間違いないと僕は思っているのです

斉興が藩主になって42年の間で重豪が亡くなっ
てからの18年間が実質的に斉興が藩主だった期
間といっても過言ではないのです。
祖父・重豪のトラウマから逃れられなかったの
も仕方ありませんよね







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