函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

平清盛、源平の争いは百済と新羅の争い??

2012-01-23 | 歴史

画面が薄汚いとクレームがついたようですが、時代背景

からするとあたらずも遠からずでは

天皇家や摂関家と虐げられていた武士との対比を強調す

る演出もあるような気もします

 

自分の思うがまま生きているつもりの清盛ですが、平氏

の力に庇護されていた事にようやく気づいたようです。

親(忠盛)の力で自分だけ助かった清盛、策をろうして手

を助けようとしますが、北面の武士に捕まり元の木阿

状態、。

再度捕まった三人のその後が少し気になりますね

  

ところで

清盛のご先祖様・桓武天皇の生母は百済王を祖とする渡

来人の末裔・和氏だと言われています。

その桓武天皇の子孫から「桓武平氏」が出るのですが、

桓武天皇から6代後の清和天皇から「清和源氏」が出てき

ます。

結局、源氏も平氏も元を辿れば天皇家に行き着く訳ですね

藤原氏による摂関政治と豊臣秀吉を抜かせば実質的な日本

の統治者は殆どが天皇家もしくは天皇家の末裔ですね。

 

天皇家の源(みなもと)→源氏、平安京の平(へい)→平氏、こ

れが源平の苗字のいわれだと言われていますが、苗字のい

われから見ても家格的には源氏の方が上だったようです

しかし正盛や忠盛の代になると逆転、九州での源義親の反

乱などもありドラマで描かれているように源氏には苦難の

日々が続きます

因みに、義朝の父為義はこの義親の子供(長男ではないようです?)

義親の反乱を制圧したのが清盛の祖父・正盛と言われてい

ますが、これを契機に源氏が凋落、平氏の隆盛が始まるの

です。

清盛をはじめ平家一門の隆盛を築いたのは祖父・正盛だっ

たと言っても過言ではありません。

 

平安期の天皇家では宮家が増え財政的に苦しくなったため

臣籍降下として天皇の臣下となるのが増えますが、苗字が

無いのが皇族の皇族たる所以、臣下となると苗字を与えな

ければならなくなります。

よく言われる源平藤橘はこのような背景から生まれたよう

です。

 源も平も時の天皇からの枝分かれで多くの天皇から多くの

源と平が生まれますが、一般的に源氏と平氏と言われてい

るのが清和源氏と桓武平氏ですね。

 

面白い話があります。

古来より朝鮮半島と密接な繋がりを持っていた天皇家です

が、源氏と平氏が土着し武士団となるにあたり朝鮮系の人

々を武士団として結集させ、その棟梁となったのらしいの

です

本当かどうか分かりませんが、平氏は百済系、源氏には新

羅系が集まったと言われます。

本当なのでしょうか??

そういえば源義家の弟に武田氏や佐竹氏の祖とされている

新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)がいます

新羅三郎義光の新羅は『しらぎ』ですものね

新羅と何らかの繋がりが無ければこんな名前をつける筈が

ありません。

 

朝鮮半島でも対立していた百済と新羅

その対立の構図が源平に引き継がれたのかも知れません。

新羅系は百済系の人々を『百済の人→クダラナイ』といい

??百済系は新羅系の人々を『シラジラシイ→シラバック

レル』と揶揄したと言われています。

あり得る話です。

源平の戦いは所を変えた百済と新羅の戦いだったのかも知

れませんね

 

 

 

 

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