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函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

明智光秀と公家達による共同謀議説!!①

2007-06-04 | 歴史
『自分は石ころのように落ちぶれているところを信長様に
召しだされ、そのうえ莫大な兵を預けられた。武勇武功
では国家の費えとなる。だから上様のご恩に報いる為、
粉骨砕身しよう』
これは、明智光秀が本能寺の変の一年前に書いたものなのです。
これほどの思いを信長に持っていた光秀が、一年後にクーデター
を起こすとは…世の中分からない
最近、信長殺しに面白い説がある。公家達による『共同謀議説』だ。
この説は中々興味をそそられる。
光秀と数人の公家が共謀して信長を殺したと言うのです。
その公家の中に正親町(おおぎまち)天皇の子供の誠仁(さねひと)
親王も加わっていたと言うのです
信長は正親町天皇に譲位を迫っていて、子供の誠仁親王を
即位させようとしていたのである。
老獪な天皇を引退させ、信長の思う様になる天皇を即位
させたかった訳です。
このクーデターの主役は、近衛前久(さきひさ)と吉田兼見(かねみ)
だというのです。
そして、この計画を知っていたのがもう一人、武家伝奏の
勧修寺晴豊(かじゅうじはれとよ)だ。
そしてこの計画を朝廷側で容認していたのが誠仁親王だというのである。
有り得る話どころか、かなり現実味がある!!
近衛前久と明智光秀は付き合いが古く旧知の仲なのです。
尊皇心が強い光秀のこと、強制的に皇位を変えるなど、とても
賛同出来る話ではなかったのでは?
光秀が罠にはめられたのか?それとも自発的だったのか?
本能寺の変の前日の6月1日、公家達が信長にご機嫌伺いに行くのですが
公家の中では信長と親しかったはずの吉田兼見が欠席するのです
何となくきな臭いですよねー
もう一つ、こんな大事件が有ったにも関わらず、勧修寺晴豊
の日記には本能寺の事が一言も書かれていないのである。
益々怪しい
6月2日、光秀が本能寺を襲います。二条城にいた信忠にも明智軍が
襲い掛かるのですが、中々邸内に入る事が出来なかった。
ところが何と二条城の隣が近衛前久の邸宅なのです。
結局、前久邸から進入した明智軍に信忠は殺されるのです。
前久が手引きしたとしか思われない
また、信長の急変を聞いた晴豊は、本能寺ではなく二条御所に直行
するのです。ここには信忠軍が入り込み親王を拘束していたのです。
晴豊らの説得により、まんまと親王の解放に成功するのですが、
そこにやって来たのが、連歌師の里村紹巴(さとむらじょうは)だという。
前久・晴豊・誠仁親王・紹巴と陰の主役が勢揃いした訳だ
紹巴といえば、『ときは今天が下しる五月かな』で有名な
愛宕山の連歌会を光秀と共に開催した人ではないか?
おまけに親王らを乗せる輿まで用意していたという。
手廻しが良すぎる!!かなりキナ臭い臭いがしませんか。
長くなりますので、この続きは近日中に!!

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2007-06-04 09:26:39
訪問有り難う御座います。又遊びに来ます
返信する
嘘はやめてください。 (通りすがり。)
2007-06-06 06:23:39
一体、何十年前の情報によって語られているのでしょうか。
>もう一つ、こんな大事件が有ったにも関わらず、勧修寺晴豊
の日記には本能寺の事が一言も書かれていないのである。
益々怪しい

『日々記』には6月1日のことも2日のことも詳細に記されています。


>結局、前久邸から進入した明智軍に信忠は殺されるのです。

二条御所を攻めあぐねた明智勢は、近衛邸の屋根から鉄砲を撃ち入れたのであって、近衛邸から突入した訳ではありません。
嘘は止めてください。
返信する
Unknown (iseッチ)
2007-06-06 12:30:45
通りすがりさん、お詳しいですね。
ご指摘有難うございます。
この仮説はある方の本から引用しているのですが、
一つのシュミレーションとしては面白いと思っています。
歴史の面白さは、結果だけは確定していますが
プロセスをあれこれシュミレーションするのが
楽しいのだと思うのです。
ある意味、仮説としては何でも有りなのではと思っています。
そうでなければ、歴史小説や大河ドラマは成り立たない
のではないでしょうか。
大河ドラマを見ていると、違和感を覚える事がよくありますが
それはそれ、ドラマとして見ると結構楽しめます。
最近、徳川家康の懐刀、天海大僧正が『明智光秀』ではと
いう説にはまっているのですが、如何思われますか?
僕は有り得る話だと思っているのですが??

貴重なご意見有難うございます。





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