函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

鎌倉殿の13人、征夷代将軍は二番煎じ!!

2022-06-06 | Weblog

1192年(いいくにつくろう)頼朝は征夷大将軍に

任じられましたね

後白河法皇が崩御した後だったので、いろいろ

憶測を呼んでいますが、頼朝自身も征夷大将軍

を何が何でもと言う感じではなかった様ですね 

源氏で最初に征夷大将軍(征東大将軍かも?)に

任じられたのが木曽義仲です

頼朝は義仲の二番煎じと言う事ににります

恫喝の様な形で大将軍に就任した義仲のですが、

任じたのは後白河ですね 

後白河自身が2回も征夷大将軍を指名する訳には

いかなかったのではないのでしょうか?

治天の君として前例を踏み外す事は出来ればした

くないと言う思いが有り、その辺りを後白河と頼

朝も暗黙のうちの了解状態だったのだと個人的に

は思っています 

前九年・後三年の役で活躍した頼朝の御先祖様、

源頼義・義家親子も鎮守府将軍と陸奥守でしたし

藤原秀衡も… 

武士の棟梁として、権威の象徴として相応しい役

職として頼朝は征夷大将軍を選んだのでは… 

何れにしても、征夷大将軍が武士の頂点の役職と

して認識されたのは頼朝以降の話ですよね 

ところで 

ドラマでは比奈として登場した姫の前 

絶世の美女だと言われていますね。 

義時が口説き落とすのに一年以上も掛かったとか

御所内では頼朝のお気に入りで権勢を誇ったとも

言われるくらいですから、かなりの才女だったの

でしょうか?

もしかして?頼朝とも関りが有ったのかも知れま

せん

この辺りの人間模様を亡くなった八重と重ね合わ

せた脚色にしたのかも知れませんね 

頼朝の仲立ちもあり無事姫の前と結婚に漕ぎつけ

た義時ですが、「絶対に離縁しません。」と起請

文まで頼朝に書かされたとか

尤も、後に離縁しますのでこの約束は反故となり

ますが… 

時政に騙し討ちされ比企氏は滅亡しましたので、

比企氏出身の姫の前をそのままに出来なかったの

でしょうね 

姫の前はその後、公家に嫁いだと言われています

が、魑魅魍魎の鎌倉で暮らすよりその方が平穏な

生活を送れたのかも知れませんね 

義時の息子・泰時の生母に関しては確かな資料が

少ないので断定は出来ませんが、八重でもなく、

姫の前でもない事だけは間違いなさそうですね 

一般的には姫の前と結婚する以前の女性だと言わ

れていますが… 

この時代、後に産まれても正妻の子供が嫡男とし

て認識されるのが普通ですが、姫の前の産んだ子

供達が家督を継ぐ事は有りませんでした。

やはり、比企氏の女性だったからなのでしょうか

来週はいよいよ曽我兄弟の仇討ちですね

曽我十郎と五郎の後ろにいるのは間違いなく北条時政

時政は兄弟を使い頼朝暗殺を企てたのでしょうか?

御家人内でも老と青のジェネレーションギャップが表

面化しつつありますが、時政は老の代表者なのかも知

れません

 

 

 

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