函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

後悔先に立たず!!

2009-09-28 | 歴史
最上攻めから撤退した兼続
一時は死をも覚悟したと言われた戦いでしたが、前田慶次郎
らの活躍もあり見事殿の役目を果たせたのです
撤退劇の最大の功労者・前田慶次郎、二つの関ヶ原と言うの
なら東の関ヶ原?も描いて欲しいと個人的には思うのです
主役が兼続なので仕方ありませんが、それにしても扱いが小
さ過ぎるのでは…

前田慶次郎、前田利家の兄・利久の義理の息子と言われてい
ます
その利久が亡くなると家族を捨てて何故か前田家を出奔して
しまうのです
落ち目の時ならいざ知らず昇る勢いの前田家を何故出奔した
のでしょうか??

その後、京都で暮らしていたみたいですが、そこで兼続と出
会ったと言われています。
関ヶ原の少し前に上杉家に千石で仕官しますが、上杉家は関
ヶ原での敗戦で米沢三十万石に減封されてしまいます。
この時慶次郎は何故か五百石という微禄を持って上杉家に仕
えるのです
沢山の大名から高禄を持って迎えたいと誘われますが、それ
には目もくれず結局米沢に移り住み一生を終えたのです
婆沙羅の慶次郎、僕は室町の初期の大名・佐々木道誉と何故
か重なって見えてしまいます。
慶次郎は道誉ほど名家の出ではありませんが…

京都での慶次郎は公家や文化人との交流もあり、そこで天下
に名を知らしめた様ですね
文武両道の慶次郎、その意味では兼続と意気投合したかも知
れません
前田家出奔の原因はもしかして武だけで伸し上がった前田家
に愛想をつかしたのかも知れませんね

後悔先に立たず!!
徳川家康を討たなかった事を悔やむ上杉景勝
石田三成憎しの感情だけで東軍についた事を悔やむ福島正則
武将としての資質は高かったかも知れませんが政治家ではな
かった様ですね

景勝に至っては武将としての資質をも疑いたくなるほどです
千載一遇のチャンスを訳の分からない義の一言の為に自ら潰
してしまったのですから最悪の大将といっても差し支えあり
ません
義とか正義を掲げても所詮謙信とは違うのです。
謙信の真似は出来ても謙信にはなれないのです。
偉大な親を持った哀れを感じます
仮に家康軍を攻撃しても必ず勝つとは言い切れませんが、少
なくとも戦況ががらっと変わった筈です。
東軍といっても主力は豊臣恩顧の大名。
戦が長引けば長引くほど西軍に有利に働いた様な気がしてな
りません
そういう意味では関ヶ原敗戦の原因は景勝にもあったのです。
今頃反省しても遅すぎます
何を今更といった感じですね

家康を討つ事を強く主張した兼続に『天下に義を守ること、
そのためにこそ生きられよ』と説かれる始末
跡取りがいたのなら直ぐにでも引退した方が良かったかも。
これだけ家老の兼続が世間に認められるという事は、裏を返
せば景勝の凡庸さの表れなのかも知れませんね

三成にも一言!!
敗者に正義はありません。
正義は勝者が作るものなのです。
豊臣家を守る為としょうして戦った三成ですが、その豊臣も
織田から権力を奪ったのですから豊臣から徳川家が権力を奪
う事は不正義なんかでは絶対ありません

正義は常に勝者によって作られたといっても過言ではないの
です



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コメント
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