函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

何故、攻めなかったのでしょうか??

2009-09-14 | 歴史
いよいよ1600年、関ヶ原の戦いの年に突入しましたね

着々と戦闘態勢を整えつつある上杉軍。
その上杉に対して謀反の疑いをかけ上洛を迫る家康。
有力大名の前田家を謀反の罪に陥れ、故利家の妻(芳春
院)を人質にとり服従させ次に狙うのは上杉家
一触即発の事態に武将達も家の存続をかけどちらに付く
べきか決断を迫られる時です

そんな武将の中で異色なのが大谷吉継
吉継は家康とも懇意にしていたのですが三成に協力する
事を選択します
はなから勝てない戦だと思っていながら…
勿論、三成に誘われた時にも『勝てない戦だ』と進言し
た様ですが三成が聞き入れる筈がありません
吉継は家より友情を取ったのでしょうか??

吉継の娘婿は真田幸村ですし、その幸村の父・昌幸の妻
と石田三成の妻は姉妹
昌幸・幸村親子は結果的に西軍につく事になりますが、
吉継が西軍側についたのもその辺りが原因なのかも知れ
ませんね??

それにしても三成挙兵の知らせを受け大坂へと向かう徳
川軍を何故景勝は攻めなかったのでしょうか??
「正義はわれらにある。このような脅しに屈しては武門
の名折れじゃ」と言って上洛しない事を決めた景勝
真っ向から徳川と戦う覚悟を決めた筈なのに…

背後から敵を撃つのは義に背くなんて詭弁にすぎません
自分達だって背後から敵を受けているのです

もし、関ヶ原の戦いで西軍が勝利したなら伊達も最上も
西軍に靡くのは火を見るより明らかなのです
景勝の言う義の意味が益々分からなくなりました

専守防衛だけでは戦国を生き抜く事など出来ません。
カリスマ性のあった謙信ですら義を実戦するため家臣を
纏め上げるのに四苦八苦していたのです
謙信ですら苦労したと言うのに一つ覚えの様に義だけを
掲げ戦国の世を生き抜く事など景勝に出来る筈がありま
せん。(結果的には幕末まで上杉家は残りますが)

景勝は決して凡将だとは思いませんが比べる相手が悪過
ぎますよね
義を掲げ謙信の真似をしても謙信の生き様まで真似する
事は出来ません
偉大な父を持った哀れを感じます

いわゆる直江状ですが、僕はあまり意味の有る書状だと
は思っていません
家康に上杉討伐の口実を与えただけの物では…
上杉が会津に戻った段階で既に戦いは始まっていたので

直江状は見方を変えれば上杉家からの宣戦布告とも取れ
ます
何れにしても直江状が戦いの口火を切った事だけは間違
いない様ですね

そう言えば、家康が上杉に敗れ命乞いをするシュミレー
ションドラマ、あまりに滑稽でコメントのしようが有り
ません
悪役・家康を引き立たせるつもりだったのでしょうか??
賤しくも徳川家康、もし負けたとしてもあのような無様
な命乞いなどするわけがありません。
見ていてあまりにも単純で不快な気分になった僕なので




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コメント (2)
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