函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

風林火山、究極の愛の形??

2007-10-15 | 歴史
由布姫に言われ、リツを嫁にするのを承諾した勘助
やはり由布姫にだけは逆らえない様です。
感情的に話す勘助と由布姫を見ていると、男女の係わり合い
が無くとも、相手を思いやれるのではと錯覚してしまいました
もしかすると、究極の愛の形かも知れませんが…

晴信も晴信で越後と木曽、どちらを先に攻めるか由布姫に
決めさせるとは何とも情けない
一国の当主と軍師がいるのに、側室に決めさせるなどあり
得ない話なのです
クジかサイコロで決めた方がまだ良いのでは…
由布姫に聞かなくとも越後を先に攻める事など出来る
訳がないのです。

その木曽を攻め入る最中に越後の毘沙門天が動き出しましたね。
流石、景虎です
それにしても200日の長退陣、双方疲労困憊だった筈です
そのまま退陣を続けていたのなら、武田・上杉両方の国許が
危うくなった筈です。
そこに登場した今川の雪齋
仲立ち出来るのは雪齋しかいなかったかも知れません

雪齋が倒れた時、同席していたのがご存知徳川家康ではないか!!
元信は元服して松平元信と名乗っていたのですが、後に
松平元康→徳川家康となるのです
今川義元の一字を与えられ、松平次郎三郎元信と名乗ったのです。
雪齋は、松平元信を大層可愛がったと言います
元信の才能を見抜いていたのでしょうね。
その元信に雪齋が残した言葉が伝わっているのです。
「肩の荷は重いほどよい。皆のために、竹千代殿には出来る
お人だ」と云うのです。
家康が言ったという「人の一生は重荷を負ふて遠き道をゆく
がごとし…」と何となく似ていると思いませんか
と云うよりその物ズバリですよね。
尤も、この一説は後に作られた様ですが…

その雪齋もこの和議の後亡くなるとは、義元もつくづく運が
無い武将です。
雪齋が徳川家康の懐刀『天海』の様に長寿だったとすれば
今川幕府が出来ていた可能性もあったのです
人の運命とはつくづく分からないものですね
歴史に『もしも』は無いと言いますが、寿命も天下取りの
重要なファクターの様です。
おそらく、今川幕府が出来ても秦の始皇帝のように、二代目
で崩壊したとは思いますが…
幕府が長く続くには二代目が肝心なのです。
氏真では国を動かす事は出来なかったでしょうね。
人を使う能力が有れば別でしょうが…

話は変わりますが、ドラマでは駒井らが起草したと云う事に
なつている『甲州法度之次第』ですが、読んでみると中々面
白いのです
●私有地は勝手に売ってはならない。
●裁判の最中に暴力行為をしたら敗訴。
●訴訟を信玄に直接提出してはならない。
●どんな理由があっても喧嘩両成敗で一方に加担した者も同罪。
●許可無く他国へ文章を送ってはならない。
●年貢の滞納は重罪。
●浄土宗と日蓮宗が争ってはならない。
●洪水で流れてきた材木は自分の物としても良いが
 橋の材料だけは元の場所に戻すこと。

などなど、基本的には喧嘩両成敗の論理で治安を維持していた
様なのです
当時の裁判は、判決の後に不平不満が出ない様に占いやくじ引
きで神意を問うものだったらしいのです
武田家の支配地が広まれば広まるほど、こう云う分国法が必要
だったのですね。
各地に散らばる無秩序な勢力を支配下に入れる為、作ったとも
言えますが、法律によって一括して支配地を治める権力者の頂点
に立ったとも言えますよね

コメント (8)
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