気が向いたとき感じたままに

皆さんの文章を読ませて戴くのは楽しいのですが、気が向いた時には自分でも・・・と思い

本州北端

2009-09-12 06:49:00 | Weblog
地元の人を除き、本州の北端である津軽半島・下北半島を旅行する人の殆どが、「北は北海道から南は沖縄まで、目ぼしい所へは大体行った。今度は、まだ行ったことのない“最果ての2大半島”へでも行ってみるか・・・」との感覚だそうである。
確かに、観光地が密集しているわけでもなく交通の便がいいわけでもなく、そうした状況も納得できる。私自身、まだ沖縄は未体験であるが、そのような感覚で参加した。他の参加者も、親子で来ていた30代の青年1人を除き、みな年配者であった。平均年齢は60歳を超えていたようである。
旅行をした結果は、本州最北端に位置し北海道を間近に望み、マグロの1本釣りで知られる「大間崎」、高野山、比叡山と並ぶ日本3大霊場のひとつ「恐山」、“神のわざ鬼の手づくり仏宇陀”と詠まれた絶景の「仏ケ浦」、石川さゆりの歌で脚光を浴び、真っ青な津軽海峡に突き出た「竜飛崎」、国の指定重要文化財であり、太宰治の生家でもある素晴らしい造りの「太宰治記念館」等、一応の満足は得られた。
だが、観光客相手なのだから当然といえば当然であろうが、「さもありなん!」と感じたこともあった。

バスガイド

2009-09-10 07:06:28 | Weblog
旅行に出ると殆どの場合バスガイドに出会い、そのガイドによって旅の印象が変わると言っても過言ではない。当然、当り外れもある。
今回の担当は、営業拠点を青森の三戸・八戸・五戸に持つ、ゴロ合わせで「三八五」(みやご)なるバス会社のガイドであった。彼女は、30代と自称するも50歳間近と思われる女性であった。驚くほど知識は豊富、その上話術は寄席でも通じると思えるほど巧みで、乗客を飽きさせことが全くなかった。今までに100回以上もガイドに接してきたが、最高ともいえる“大当り”であった。
だが、中学生の修学旅行では、“若くて美人”が絶対条件であるという。期待に沿わぬと「外れ!」と囁き合うそうだ。ある時、彼女の友人ガイドが生徒から「外れ! 外れ!」の合唱を浴びせられたそうである。
見兼ねたのか教師は「お前ら我慢しろ!」――これには、子供たちからの攻撃には慣れているガイドもショックを受けたそうである。この教師、「お前らいい加減にしろ!」と言うつもりで口が滑ったのか、受けを狙い意識的に言ったのか私には判らない。だが冗談にしても、他人を傷つけるような言葉は慎まねばなるまい

高等学校クイズ選手権

2009-09-06 04:58:12 | Weblog
「第29回全国高等学校クイズ選手権」を見た。この番組は、今から26年前の1983年以来毎年恒例になっていて、全国の現役高校生が知力、体力、運の強さを競うものである。「クイズの甲子園」として高い人気を維持し続けている。
毎回のことであるが、他のクイズ番組とは一線を画している。問題のレベルが非常に高く、東大生の正解率が2%、0%というような問題が続出する。一般人の我々にとって殆ど答えられないような難問で、それだけに「つまらない!」との意見も多いようである。寧ろ、それ等の問題に正解を出し続けていく高校生を見て感嘆するような番組だと思う。
今回の決勝戦は、先に10問正解した方が優勝の筈であったが、両校とも正解が続き、遂に17:16で決着がついた。最後に運命を決めた問題が、私でも解ったようなレベルの問題であったのは意外であったが・・・。
優勝は奈良・東大寺学園高校、準優勝に甘んじたのは鹿児島・ラ・サール高校であった。残念ながら、2005年・2006年の連続優勝で番組史上初の複数回優勝を果たした我が母校、埼玉県立浦和高校は4位に終わった。

八ッ場ダム

2009-09-05 05:46:49 | Weblog
国土交通省は3日、八ッ場ダム(群馬県)の本体工事の入札を延期した。これは、民主党がマニフェストでこのダムを直接名指しで建設の中止を表明したことに起因する。
だが、多額の金額を負担し推進の立場にある流域1都5県は、今更の中止に困惑している。このダム建設により、洪水防止・水の供給と治水という大きなプラス面が予想されていたからである。
「八ッ場ダム」は「ヤンバーダム」と読む。初めてではちょっと読めない。利根川の支流である吾妻川の流域、群馬県吾妻郡長野原町川原湯地先に建設が進められている多目的ダムである。当初2010年度の完成予定で、完成すれば東京・埼玉・千葉・茨城・栃木・群馬の関東1都5県の水がめとして機能することになる。
1952年に構想が持ち上がり、総工費は4,600億円の国内最大級の規模であるが、付帯工事などは大分進行しており、既に約70%に当たる3,200億円が投入されているという。中止するにしても、環境整備などは継続する必要があり、今後も相当な出費を迫られることになる。更に、国は費用の60%を支出した“地方”にその金額を返済しなければならない。継続すべきであろう。

黒真珠

2009-09-04 05:47:48 | Weblog
先日ある女性からの質問が目を引いた。次のような内容である。
≪私達の披露宴に義母が黒留袖を着て、黒真珠の指輪をしてきたのです。黒真珠は慶事には相応しくないと認識していたので、びっくりしました。私の親族も義母の非常識ぶりに唖然としており恥ずかしいです・・・≫
一般の多くの人は、この質問に対してどのように答えるのであろうか? 興味を持った。
私はこの質問者が、黒真珠は弔事用であると勝手に解釈し、“義母の非常識ぶりに唖然として・・・”との独善的な表現にあまりいい感じを受けなかった。
この黒真珠、ただ色目が黒ということだけで、葬式専用と思い込んでいる人が多いようであるが、考えてみればおかしな話である。結婚式で着る黒留袖自体が“黒”であるのだから。
“黒真珠=弔事”との考えは、真珠だけでなく黒真珠も売りたいと考えた、宝飾店の戦略に乗せられた結果の誤解によるようである。黒真珠は確かに弔事に相応しい。だからといって、慶事に不適切というわけではなかろう。黒い服装にはよくマッチする。

氏名標

2009-09-03 04:49:10 | Weblog
「氏名標」――国会中継などで目にする、議員の前に設置されている黒い柱状の名札である。
今回の大幅な議員の入れ替えで、この「氏名標」を製作している、東京都台東区の漆器店:(株)ぬしさ製作所は大忙しだそうである。ところでこの会社は、出席札や投票の際の白札・青札の他に、都議会用の「氏名標」も一手に製作しているという。
従来は何となく眺めていたその「氏名標」であるが、素材は檜の柾目で塗料もエナメルなどではなく、メーカーからも予想できる通り漆仕上げであるという。その表面にエナメルで名前を書くのも、1人1日で20本が限度だという。1本の値段がさぞかし高価であろうと想像される。格調高い議員には、それに相応しい名札ということなのであろうか?
だがこの「氏名標」、いとも軽々しく扱われていた写真を見たことがある。小池百合子議員が安倍元総理の「氏名標」に手を乗せて休め、他の議員と談笑していた写真である。それは、「氏名標」というよりも寧ろ安倍氏自身が子分である議員に軽く見られていることを示しているようでもあったが・・・。

「お食べください」

2009-09-02 06:20:49 | Weblog
もう何十年も前になるが、初めて「お食べください」なる言葉を聞いたときに、大変な違和感を抱き、今でもその時の印象が忘れられない。余程教養のない人だと思った。それ程そのような言葉遣いをする人はいなかった。
ところが最近この「お食べください」なる言葉を多く聞くようになった。時には、言葉のプロと思える人までがテレビなどで使っているのを耳にする。情けないことである。この場合は、いうまでもなく「お上がりください」「お召し上がりください」と言うべきである。以前同じくテレビで聞いた「戴いてください」よりは増しであるかも知れないが・・・。
本当に言葉の乱れが酷い。どんな言葉でも「お」をつければいいというものではない。いくら頭で「謙譲語」だの「尊敬語」だのと考えても普段から使っていなければ正しい言葉は使えない。英文法の本を読んでも英語を話せないのと同じことであろう。
この“お食べ”、ついつい口を吐いて出る“話し言葉”にだけでなく文章にも現れた。昨日行ったスーパーの食品説明書には『・・・これは、お食べになる前に1時間ほど冷蔵庫で冷やしてください』とあった。

国民主導

2009-09-01 05:45:27 | Weblog
55年体制の始まりといわれる1955年に私は大学に入った。その私が来年は後期高齢者の仲間入りをする。考えてみると自民党の政治も長かった。そうしたことが党内に澱みを生み、国民に見放されたり、“お灸をすえよう”と思わせたようである。結果は選挙前の予想通り“政権交代”を前面に掲げた民主党の圧勝に終わった。
しかし、これは相手自民党の自壊作用に助けられた点が大きいと考えざるを得ない。もしマニフェストを無視したような政治を行ったら、間違いなく国民の心は離れてしまうであろう。
鳩山代表は記者会見で、「長く続いた自民党政権に対して国民が新たな政権を選択した。数に驕ることのない政治を行いたい」と述べた。また、大衆におもねたのか言葉を間違えたのか判らぬが、「官僚主導から国民主導へ・・・」とも語っている。
だがこの言葉には疑問を感じる。政府主導が実現不可能な時に備えた逃げとも取れるからだ。国民は民主党に政権を与えた。後は民主党が中心となり国を動かしていくのである。“国民主導”など不可能であり、“国民の意を酌んだ政治家主導”を進めねばならない。それが政治家の仕事であるのだから。