石造美術紀行

石造美術の探訪記

近江には五輪塔が少ないのか?

2007-09-15 07:59:32 | うんちく・小ネタ

近江には五輪塔が少ないのか?

近江は石造美術の宝庫である。中世の石造宝篋印塔や石灯籠、石造宝塔がたくさんあることについては、京都や奈良を凌ぎ全国随一といっても過言ではない。一方、一般的に古く立派な五輪塔は少ないとされている。しかし、このことは、ともすれば近江に五輪塔は少ないという誤解を招きかねない。結論、近江には五輪塔が多いのである。鎌倉様式の大形の五輪塔が、宝篋印塔や宝塔などに比べると多くないというのが正しい。22_2 「多くない」=「少ない」ではない。また、小形の五輪塔や一石五輪塔は、千や万の単位で集積された、旧蒲生町の石塔寺や旧愛東町引接寺、大津市の西教寺はいうに及ばず、近江の寺や墓地などを巡ると至る所に数多く見られる。その数はまったく奈良、京都にひけを取らない。いくら近江に宝篋印塔や宝塔が多いといっても絶対数では五輪塔にはるかに及ばないのである。01_13少ないとされる鎌倉~南北朝時代の大形五輪塔にしても、実際に歩いてみると残欠も含めればその候補は案外多いことがわかるし、在銘にしても5指に余るだろう。 13世紀~14世紀代の在銘の五輪塔がいったいどのくらいあるか府県単位や旧国(摂津、尾張など昔の行政区分)単位で指折り考えてみればわかる。近江は十分にアベレージをクリアしているだろう。要するに石造美術最盛期の宝篋印塔や宝塔に比べ五輪塔が相対的に少ないというに過ぎない。宝篋印塔や宝塔、石灯籠が段違いに多いため、五輪塔も平均以上に存在しているにもかかわらず埋没して捉えられているのである。(層塔も似たような状況)

五輪塔を例に述べたが、結局こうした数量的な地域特徴も含め、石造美術の種別や構造形式、石材といった各属性を把握分析し、その上で地理的・時期的分布の濃淡や重なりぐあい(位相とでもいうのだろうか)を解明しその背景を考察することが、単に美術史にとどまらず祖先たちの精神面や経済面も含めて中世日本の社会構造を理解することにつながるのだろう。

写真(いずれも大形の優品ながら紀年銘はない)

左:西浅井町大浦観音堂五輪塔(13世紀前半~中頃)近江最古の五輪塔のひとつとして知られています。近江の五輪塔を語る場合これは外せないでしょう。

右:東近江市勝堂墓地(14世紀中頃)こっちはそれほど有名じゃないけど結構いけてます。


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