石造美術紀行

石造美術の探訪記

古典などに登場する石造(その1)

2014-11-19 00:28:25 | ひとりごと

古典などに登場する石造(その1)
石造物は、石造美術や考古学など学術的な書物や市町村史類のほか地誌などに紹介されていることがあり、石造物を調べ、考えるうえで目を通しておきたいものですが、さらに進んで古典文学あるいは絵画資料に登場する石造物にも注目したいと思っています。鴨長明の『無明抄』に“一丈ばかりの石の塔”として長安寺の石造宝塔と思しい記述があるそうです。一級資料を用いた具体的な事実の立証ということはもちろん大事で、それがストライクゾーンですが、そこから一歩離れ、もっと肩の力を抜いていろんな書物などに登場する石造をつれづれに追いかけるのも楽しいかもしれないと思っています。もちろん、ばかげた話も多いのであまり真に受けない姿勢は保ちつつですが、少なくとも石造物がその書物の中でどのように扱われ、著者や読者にどのようにとらえられていたかを知ることができます。
…とは言うものの、ことさらに書物を漁っているわけでもないのですが最近偶然手にした『江戸怪談集』上・中・下(岩波文庫 高田 衛 編・校注)という三冊の文庫本は、文字どおり江戸時代の怪談奇談を集めたなかなか面白い本で、お化けには墓地がつきものということからか、墓地や石仏や卒塔婆など石造がらみの言葉がけっこう出てきます。ここにひとつ「五輪より血の出る事」というのがありました。高田氏の解説によると出典は『善悪報ばなし』、編著者不詳。元禄年間板行だそうで享保年間に『続御伽ばなし』に改題されたそうです。江戸前期の成立ということでしょう。越前敦賀の近郊の浄土宗の寺で、明暦元年(1655年)、「五輪の台の合せ目」より血がおびただしく流れ出たことがあったといいます。被葬者は難産で死亡した女性らしく、平常はそういうことがないのに命日になると血が流れたそうです。寺は噂を聞きつけた野次馬でごった返し、困惑した住職が近くにいた「たいをう」(不詳)という修業者に頼み込んで加持祈祷か供養かわかりませんが、何か措置をしてもらったところ血は流れなくなったということです。簡潔な記述で具体的なことはほとんどわかりません。この話自体に特段考察すべき内容はありませんが、五輪塔が寺にあり墓塔と認識されていたこと、五輪塔に台座があったらしいということはわかります。医療水準が低く、難産で死亡する妊婦は少なくなかった時代、そういうことをモチーフにしたウブメと呼ばれるお化けがいるという話は聞いたことがあります。難産で多量の血が流れるという点からの付会なのかもしれません。ひと気のない陰鬱な雰囲気の墓地で五輪塔を一人訪ねたりしますが、そういう場面で五輪塔から血が流れ出すなんて想像するとゾっとする話です。
 
石造美術の探訪記が基本ですが、最近ちょっとサボっており、目線を変えてこういう路線も取り入れてみました。連続ではなく随時のシリーズとします。


引っ越しました

2014-11-09 01:25:58 | お知らせ
ご無沙汰いたしております。
さて、このたび、従前のOCNブログ人のサービスが終了するとのことで、
こちらに引っ越す仕儀と相成りました。
最近は忙しさにかまけてサボっていましたところ、一方的なサービス終了の通知に
この際もう止めてしまおうかとも考えましたが、引っ越せるとのことで、
やっぱり続けることとしました。引っ越し手順も面倒くさくて気が進まないまま
過ごしておりましたが、やってみて何とかできました。
今までと勝手が違うので、体裁その他はこれから追々整えていきたいと思ってます。
過去の記事の一部に不具合が生じているようです。これは新旧のブログのルール、
仕切りが異なるせいで不可抗力なのですが、これも追々直していきたいと思ってます。
しかしまぁどうなることか…。
しばらくの間は旧ブログページからこちらの方に自動誘導されるそうです。
今後ともよろしくお願いいたします。恐惶謹言
六郎敬白