石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 甲賀市甲南町杉谷 息障寺奥の院不動磨崖仏

2010-05-31 23:40:49 | 滋賀県

滋賀県 甲賀市甲南町杉谷 息障寺奥の院不動磨崖仏

甲南町杉谷を新名神高速道路の高い高架をくぐって南の山手に向かって進んでいくと三重県伊賀市との県境間近い山間に天台宗岩尾山息障寺がある。Photo県道からお寺の標柱のある三叉路を西に曲がり、さらに坂道を登っていくと突き当たりにお寺がある。裏山の奥の院に向かう急峻な石段を登っていくと山腹に累々たる巨岩がいたるところに露出している。忍術修業の場と言われるのも肯けるが、実際は修験の業場であろう。尾根のピークまで登りきると一際大きい巨岩がそそり立つ場所に出る。この付近が奥の院である。最近岩石の崩落があったらしく石段補修の後が真新しい。さらに崩落防止のため岩山全体を網の目状のワイヤーで厳重に補強してある様子はちょっと異様な情景である。巨岩の一画、垂直に近い壁面に不動明王の磨崖仏が彫られている。像高はおよそ5mほどもあろうか。かつて磨崖仏の正面の岩の間に奥の院の小堂があったが土石の崩落に遭って壊滅してしまった模様である。火炎光を負い、倶利伽羅剣と牽索を手にする線刻の立像で、顔面のみは半肉彫りとする。厳しいお顔の表情にはかなり迫力がある。ただ全体に体躯のバランスはあまりよろしくなく、特に下半身の手法が貧弱で雄偉な上半身と釣り合っていない。左右に開いた両足の表現も少々稚拙である。伝教大師最澄の作というのは後代の付会と思われるが天台修験との関係を示唆しているのかもしれない。造立時期は作風から室町時代初め頃とされている。上半身の出来栄えに比して下半身は今一つの感が拭えないことから、もう少し時期は降るかもしれない。なお、奥の院に向かう石段の途中、左手の露出する岩壁面に舟形光背を彫りしずめ内に地蔵菩薩と推定される坐像を刻出した石仏がある。大きいものではなく像高約32cm。像の左脇に刻銘があるが肉眼では判読は難しい。これは「至徳第二(1385年)丑乙十一月廿四日沙弥道尊」と二行にわたる紀年銘とのことである。また、長い石段の耳石にも多数の刻銘があるようだが判然としない。

参考:清水俊明 「近江の石仏」1976年 創元社

写真はわかりにくいですが、ワイヤーの網に捕まってしまったような不動明王様です。写真にカーソルをあててクリックしてもらうと少し大きく表示されます。上方中央に不動さんの怖い顔があるのがおわかりいただけるでしょうか?ちなみにこの写真を撮るのにはかなり「命がけ」のアングルどりをしたんです。直下から見上げることを計算に入れてあえて胴長にし、足の方はわざと手を抜いたのでしょうか???。巨岩の上に続く山道があって登ると甲賀から伊賀にかけての山々を一望できる絶景が広がり、息をついて急な石段を登った疲れも吹き飛びます、ハイ。